硬いフローリングで、くの字に寝転ろがりタワシは苦悩していた。
嬉しみの週末と引きかえに生みの苦しみの週末がまたやってきた。
おかしなもんだ。
苦しみの中からシュールでおきゃんなブログは生まれ、嬉しみの中からは何も生み出せず、苦悩する。
そして、じ様のノッポな古時計は夜の8時33分をさしていた。
すやすや眠るには早すぎるが、今すぐすやすや眠れそうな気のぬけた脳みそと、親指から人差し指までの距離しかないという今日の残高の狭間でタワシのボディーは完全に重力の奴隷となってソファーにグデッと寝そべるしかないのであった。
いつのまにか居眠り。
気づけば9時09分。
もうこれは笑うしかない。
わっはっはっはっは。わっはっはっ
そうだ、風呂に入ろう。
湯船の湯を豪快に頭からぶっかける。
爽快である。
湯船。
湯船とは考えたら面白い言い回しだ。
湯の中に船が浮いているならまだしも、船のような浴槽に湯を丸ごと入れちゃっているわけで、これを湯船と呼ぶのは心苦しいだに。
ググノ助先生はなんとおっしゃるだろう。
な〜るほつ。
昔々江戸時代、銭湯が普及してない街のはずれに住む人々のために船の中に浴槽を設置した湯船が、運河を渡り風呂を提供していたそうだ。
または船着場で停留中の船旅の乗客に風呂を提供していたそうだ、もちろんビジネスとして。
眠い眠いからの雑学獲得に心が躍り、目覚めを期待したのだが全くきざしはない。
仕方ない。
今日はここらで店じまいとする。
意識が何度となく飛んだが、タワシブログ書けたなう。
おやすみなさいまし。