繊細と鈍感の間に意志

なにを隠しもしないタワシは繊細である。

その対義語の鈍感。

この2つの間には「ただ」しか存在しないのだろうか。

ただ繊細なだけ。

ただ鈍感なだけ。

ん〜。

違う気がしてならない。

本人が意識しようがしまいがそこには大きく意志が働いていると思うのだ。

タワシが繊細なのは、どうにも気になって仕方ない細かいことを放っておこうという意志がないからである。

だって放っておいたら気になって気持ちが悪いから。

その繊細さが時に人を傷つけたり、迷惑になったとしても「自分らしさ」という大義名分を使って楽でいたいのである。

鈍感しかり。

そういう意志というか、自我が強いがために「普通」から突出して繊細だとか鈍感だと人から言われるのだと思う。

さて。

こうして普段は見過ごしてしまう小さな感情や言葉を拾い上げてはあーだこーだとツラツラ書き記すタワシは結局、そうせずにはいられないだけであり、それが息をする上で楽なのであり、昔から脳内では頻繁にしていた事なのだ。

たまたまホームページを開設するにあたってブログを毎日更新するという広告しか思いつかなかったので、このどうにもとまらない脳内を吐露しているだけなのだ。

ブログを書く事が全くもってPOTOLI TO PUTOLIの売り上げには繋がらず、もはや広告にすらなっていないこのブログであるが、じゃあやめるか?と言われたら答えは「ノンノン」

やめるはずなかろうよ。

これは自分を肯定するためのたったひとつの柱になっているのだから。

とにかく毎日やると決めた約束を守り続けているという自負がタワシ自身をどれだけ勇敢にしてくれているだろう。

他にもやらなければいけない事をなおざりにしっぱなしだが、これから少しずつバランスしていけばいいのだ。

人生は短く長く短く長い。

筆が乗ってきて一気に書いているけれど、なんだか支離滅裂な気がするがみなはんには伝わっていると思う。

広告としては盛大にズッコケたこのブログを通して今タワシが望むのは、この一種奇妙な文体の内容を理解しつかみ取る能力に長けたみなはんの思考のどこかの扉をノックする事である。

それによってみなはんオリジナルのこれまた一種奇妙な思考がぐるぐると動き出したらオモロイではないか。

タワシは店をやる。

そこで思考の枕投げをしたいのだ。

想像するだけで武者震うぜ。

今はたったの8時11分。

思考列車は動き出したら止まらない。

しかし会社へ行ってお仕事お仕事である。

世知辛い世の中で社会にペコペコしながらユーモアを忘れずに、生きているタワシの揺れるモーニングトーマスから。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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