ムズイズム

昨日のブログがバカタワシだったから、みなはんが愛をぶん投げてくれた。

FBにあったけぇコメントをたくさんもらって朝から気分はアゲアゲだ。

そんな夕方トレインの中は、愛を語る若人で賑わっている。

これは愛なのかとか、愛とはこういうもんだよねとか、彼女自身、心を寄せているのかどうか本人さえもわかりかねるといった誰かの話を時に嬉しそうに、時に愚痴っぽく話している。

理想と現実の間を不器用に行ったり来たりしている。

不器用は時々愛おしいね。

もう芯なんかブレにブレながらも一生懸命に、どんなに些細な出来事でもそこに何かが隠れているんじゃないか、と感じようとしていた。

途中の駅でともだちが降りてひとりになった途端に静かにじっと何かをおもっているようだった。

そうやってあなたはステキになっていくんだよ、と思いながらタワシは知らないふりで座っている。

若かろうが年老いていようが人には視線だったり、口調だったり、相槌のうちかただったりと、外見とは無関係に滲み出る何かがある。

魅力の8.7割はそこに付随しているとさえ思う。

ではそういう8.7割はどこから来るんだろう。

傷の数だとタワシは思う。

そりゃあ傷つく必要などないし、傷つかずに済む人生があるなら迷わずそちらであれ、と思う。

しかし傷ついてしまったら、その時同時にその傷から1番遠い場所にある優しさを知るんだと思う。

人の気持ちなどわかるわけがない。

ただ、想像するだけである。

その想像の幅が広ければ広いほどたくさん傷ついてきたんじゃないかと思う。

だから想像できるのだ。

だから優しくなれるのだ。

だけどやっぱり誰も傷つかないほうがいい。

タワシの夜は背中が痒い。

背中が痒いということはつまり眠いということになる。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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