世界のことはわからんが人生は途切れることなく続いているという事を忘れてしまうきっかけにあふれている世界で生きている。

読書は通勤時間が1番調子がいい。

どうも携帯電話に依存しがちで、もっぱら読書が蜃気楼のようにゆらゆら遠くで揺れる日々が続いている。

これはいかん、と思い通勤時間は読書か徒然かの2択に決めた。

最寄駅からページをめくる。

世界が切り替わる。

先日読み始めた「知性を磨く」を読む。

降車駅。

知性についてフムフムとうなづきながら活字を追っていた目が表紙を閉じたとたんに戦闘モードに切り替わる。

我先に降りたるモードである。

知性もへったくれもあったもんじゃない。

さっきまで、わかるわかる、わかるってことはタワシは知性派だな、なんて思ってた態度がコロリンチョ。

 

前を向くため、時に切り替えが必要なのはわかる。

しかし本当の人生はずっと繋がっているのだ。

蓄積だ。

この蓄積に意識が向いていないと自分の能力を見誤ることにならないだろうか。

何が言いたいかというと、自分の持っている能力が新しい何かと融合する事で倍になるかもしれないのに、起きる事が全て新しいと捉えてしまうとせっかくの能力を使い損ねやしないか、と思ったのだ。

この切り替えスウィッチは、日常に数えきれないくらいのぐちゃぐちゃ具合で潜んでいる。

この切り替えが自分を見失うことにもなりかねないと思ったのだ。

常に繋がっていれば原点という自分自身に戻り、目的地に向かえるが、切り替えて切り替えてその都度その場所がスタート地点になってしまうと知らず知らずに自分を把握できなくなり目的地も見当はずれになりかねない。

人生は続いている。

電気を消しても、朝が来ても、祭りが終わっても。

まずは自分を守ることが最優先。

できたら続いてることを心の片隅に縛っておこうかな、なんて思ったりするタワシの夜である。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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