わざわざCDでミュージックをオン。曲をかけるまでの工程さえ尊く感じているのは何もかもが便利になり過ぎたせいだろう。

今日は拾ったTシャツを着て、気分はアゲアゲである。

床にこんもりと布が置いてあり、その1番上が茶色いボーダーで、まるで散歩中のお犬様がしでかしたお便のようなこんもりさだったのでまずはウケて、それからぽ氏に「何これ。」と尋ねると「捨てるのだ」と言う。

そんな事をするのならタワシにおくれ、と言って拾ったTシャツが本日のTシャツである。

みきちゃんへ定期的に「捨てる服はないのか」とLINEをするくらいに、なんならあの服はまだ捨てないのか?と急かすくらいにタワシはお古に異様にテンションがあがる。

みきちゃんはごらんの通りスリムでトールなので、実情タワシの着れる服はほとんどなく、裾がごまかしきれないくらいに長過ぎるか、きんに君のタンクトップよろしくパツンパツンかの2択だが、その中から探し出す宝物のような1、2着に心躍るわけである。

みきちゃんの影響でハイスクール・ステューデンでアメ横を知り、何百着と並ぶ古着の中からこれだ!を探し出す、タワシにピッタリの1着。

運命の出会い。

今はもう初老のタワシにあのスポーティーな探し方は無理である。

それでオシャレさんのタンスという小規模だが高確率な場所でのファインディング・ニモにチェンジしたと、そういうわけである。

人が選ぶものと自分が選ぶものは違うので、オシャレさにいやらしさがない。

そこがいい。

自分を網羅した自分が選ぶオシャレは、なんだかこざかしくてちょっとだけ小恥ずかしい。

人がその人自身のために選んだ服を着るという行為はまるで女優になったようでワクワクする。

つまり他人になったような感覚。

そこに異様にテンションが上がるのだ。

みなはんにはそんな感覚はありまへんか。

電車の吊り革が揃って同じに揺れている。

前の席にずらっと座る人々は全員携帯電話を見つめている。

そういうタワシも携帯電話に徒然を打ち込んでいる。

窓の外を過ぎていく風景だけが似ているようで違う。

そんな毎日だが、今夜はみんなでご飯。

米粒を飛ばしながらたくさん話して笑う予定である。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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1件のコメント

女優、擬似体験、全く違う自分
あたしはイタリアベネチアの仮面舞踏会に参加してみたい。マスカレード✨

グルン

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