屈折がなんだ。ちょっと曲がっただけじゃないか。

上司がわざわざメモしてくれた高級な頭痛薬のジェネリックを処方してもらったのだが、効きがイマイチだ。

たしかに昨日よりは良いが、自然治癒のプロセスを踏んでいるその道の上にたまたま今が便乗した可能性の方が高い。

こういうことはよくある。

例えば探しても探しても見つからず「すみません、お手洗いはどこですか」と尋ねると「え、あ、そこですけど」と言われる。

チッ、あと3秒探してれば自力で見つけれたのに。つうあれだ。

だがタワシよ、何が大事なのかを見誤ってはいけない。

そう、タワシは目先のニンジンに気を取られて大事な事をすぐに見誤る。

何にせよ、痛みが和らいだ事を喜ぶべきだし、1秒でも早くお手洗いを把握できた事が重要なのだ。

どうしてこうもトンチンカンなんだろうか。

 

8月7日。

頭痛が上り坂を転げ上がっていた夕方。

こんなにも頭が痛いのに空がスゲ〜きれいだったのが悔しくて、空のフォトグラフをぽちりとし、ぽ氏に送った。

すると翌日ぽ氏からタワシのライバル糸井重里の「今日のダーリン」が送られてきた。

タワシは読んでなんかやらないが、ぽ氏は毎日読むのが日課のようだ。

シゲジィも同じく8月7日、昨日の空がとてもきれいだったとかそんなような事を書いていたのである。

タワシはまた怒りで燃えに燃えた。

シゲジィとタワシのいろいろに、大して違いはないのに、かたや糸井重里が呟けばそれは何か深く、意味のあるような気がしてしまう。

一方で、チビ田タワシが呟いたところでまるでちびた石鹸。

あまりにも軽く薄っぺらい。

みなはんよ、どうか見誤らないでいただきたい。

タワシとシゲジィはさほど変わらん。

いや、ほぼ同じ。

なんならタワシのほうが断然ユニークである。

敢えて言うならばおじいさんとお嬢さんくらいにしか違わない。

どうか気づいて欲しい。

そうやってまた本質を見誤るタワシの闇は深く、湿った夏の夜は重いのであった。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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