さて、三日三晩テレビの画面にかじりつくヤイヤヤイヤ祭りの灯りはそろそろ消える。
今週の踊るヒットショーはなんと言っても生物学者の福岡伸一氏だ。
相当昔の曖昧な記憶なので危ういが、初めてこの人を認識したのは10年以上前の「サワコの朝」だったと思う。
福岡氏が番組の最後に「いろんなことがわかってきて、今では人間がどんな物質からできているのか、ということはわかったけれど、でももしもその物質を全てビーカーに入れて混ぜたとしても人間は出来上がらないんですね。」というような事を言っていた。
わ!スゲ〜オモロイ!
と思ったことは鮮明に覚えている。
次に観たのはこれまただいぶん昔のスウィッチ・インタビューで、坂本龍一氏との対談だった。
内容は綺麗に忘れたがこの対談も相当オモロかった。
そして去年「生物と無生物のあいだ」を買って少し読んだまま絶賛積読中である。
そんな福岡氏の最近のインタビューを昨日偶然見つけた。
やっぱりオモロイ。
食いだおれおじさん。
最後にリンクを貼り付けておくのでご興味ある方は是非ご覧あれ。
ひとつは「記憶」について。
「記憶は身体のどこに仕舞われているか」
細胞は入れ替わっているので記憶が細胞に宿ることはない、と。
ではどこなのか。
それは細胞の外側、細胞同士を繋ぐ関係の中に宿るのだ、と。
山手線で言えば、電車そのものや駅、線路は何度も作り替えられているが、渋谷の次は原宿、そして代々木という関係性はずっと同じである。
その関係性が電気信号によって保たれていれば記憶はそこに居続けるらしい。
例え記憶をなくしても、何かの拍子で細胞と細胞の間の電気がパチンと繋がれば記憶はよみがえる。
なるほど。
そう考えて、魂にたどり着いた。
タワシは魂は「記憶」なんじゃないかと思っている。
記憶自体は魂ではないが、魂を作っているのは間違いなく記憶じゃないかと思う。
そうなると人が死んだら魂はどこへ行く?の答えは「なくなる」になるなぁ、とか思ったりした。
哀くててジェラシー。
いや、ここにジェラシーは関係ない。
俺たちのロカビリーナイト。
もっと関係ない。
ちなみにもうひとつの動画に、福岡氏とは何か縁を感じずにはいられないエントロピー増大の法則のトピックが。
書けば眠くなるほど長いのでやめておこう。
やはりこういう話はタワシの店でゆっくりとオモロ可笑しく対話するに限る。
間違いない。
それではみなはんまた明日。
この場所かタワシの店で。
タワシの店はまだない。
チーン。
【臓器提供者として作られた命】それでも人生に意味はあるか?ノーベル賞作家が見出した究極の答え【わたしを離さないで/カズオ・イシグロ/福岡伸一】