タワシの周りには幸運なことに、ユニークさんがいい距離感で点在している。
いつかこうなることを夢見ていたような気もする。
この、溜醤油のように濃いがこよなく愛すべき、そして愛されるべきユニークさんたちが、そしてそのユニークさゆえに生きづらいことも多々あるだろう人々がタワシに極上の笑いを届けてくれる。
本人は意図していない。
そこが絶妙にいい。
今朝も日課のストーリーをインスタグラムにあげた途端に、一見クールビューティーでキレッキレかと思いきや誰よりも異様にユニークなビューティーさんから「岐阜まで髪を切りに行くのかい」とメッセージが届いた。
お、おん。
昨日の徒然の中の彼女の中の山場が、タワシが岐阜まで髪を切りに行くという事なんだな、と思いながら「そうそう。君が京都まで顔を入れに行く感覚」と返信したら「素敵」と返ってきた。
素敵…。
お、おん。
だいたい昨日の徒然に「abanch」が岐阜にあるとは書いてない。
リンクを貼っておいたのでクリックして、所在地を確かめたのだろう。
abanchiの吸引力に驚かされる。
彼女は京都のだだっ広い広場の遠くの方にぽつねんと設置された、観光地によくある顔の部分だけがくり抜かれた板の写真をSNSにアップして「今度はあそこに顔を入れに行くんだから」みたいな事をロマンティックに書いていた。
タワシは寝起きで、吹き出した。
ならば今すぐ顔を入れれば良かったではないか。
「なんで顔入れなかったのかわからん」と送ると「だって…1人だったから」と返ってきた。
この、「だって」のうしろの「…」がこの人の異様に全てをロマンティック仕立てにする性質が詰まっているのである。
たしかに写真を撮ってくれる相手も、観光客もいなければ、顔を入れるだけというパフォーマンスは際立って奇妙であろう。
今朝は今朝でなぜかabanchが岐阜なのか名古屋なのかをはっきりさせたかったのだろう。
イミフだが。
「オフ会で名古屋に行くので、美容室をオープンしたともだちのところへ行く」と言えば「じゃあ岐阜の美容室に行くんじゃなくて名古屋なのね」と返ってきた。
母ちゃんか。
タワシがどこで髪を切ろうがどうでもいいだろうその事を執拗に聞いてくる異様さがオモロ過ぎて電車で吹いた。
なんでそこがそんなに気になる?と聞いたその答えが「私はね、人の朝ごはんや日常がとても気になるの」だった。
「私はね、」から話す内容じゃないだろが。
しかも朝ごはんは日常に含まれているだろが。
朝ごはん…
私はね、から始まるのはロマンティックで使うんだろうよ。
そんな彼女は未だにタワシのあだ名を間違えて呼び続けている。
ありがとう!と言われたので間違っているとは言えない。
あれから3年か。
長いよな、たぶん。
それではみなはん、また明日。
この場所で。