コドモの頃、PUMAの靴下を見て「あ、ピューマだ」と言っている男子がいた。
その男子は給食でおつゆが出てきた時も「おちゅうは嫌い」と言っていた。
プーマよりもピューマのほうが速そうだし、おつゆと言うよりおちゅうと言ったほうが、嫌いでもなんとなく愛嬌があっていいと思った。
道を歩いていると、住宅の玄関に立つ銀色のポストに「POST」の表示があった。
ちょっと丸四角な書体と詰めっ詰めの文字のせいでPUMAに見えた。
もし、ほんとうにPUMAと書いてあるのならとんでもないユーモアセンスだし、そう書いてあったからといって郵便物が届かないこともないだろう。
つまりこれ自体がポストらしければ文字が書いてあろうがなかろうが、プーマだろうがぷっぷくぷーだろうが問題ないし、さらにこの場所はエンターテイメントの可能性がつまった舞台になるのだ。
え。
名前ってなんだろう。
一回把握するまでは、そして必要な時にきちんと使えれば普段はなんでもいいみたいな話になってくるのか?
考えてみればあだ名や愛称もその類だ。
タワシはあだ名をどんどん簡略化したり、ギリギリまで遠ざけて呼んでみて、本人がどこまで返事をするのか実験をするのがすごく好きだ。
ぽとりの事をぽ氏と呼ぶのもそのせいだ。
ぽ氏は冷静沈着であまり動じないのでぽ氏の本名の頭文字が入っていれば外国人の名前に変えて呼んでも普通に返事をしてくる。
突拍子もない呼び方をしているのに本名をよんだ時と表情ひとつ変わらん振り返り方をされると、そのいい加減さがオモロくてオモロくて心の中で腹を抱えて笑う。
この感覚、おわかりになる方はいらっしゃるだろうか。
意味を勝手に想像するといろんなことが可笑しくてたまらなくなる。
タワシの悪い癖だ。
弟には心底気味悪がられる。
弟に「ポックン」と、振り向くまでずっと呼び続ける。
弟は「ねぇ、それなんなんだよ」と怒り心頭で振り向く。
その怒りっぷりがたまらなくオモロくてゲラゲラ笑うと「マジで気持ち悪いからやめてくれ」と怒る。
タワシは、彼が怖がれば怖がるほど笑いが止まらなくなるという。
ちょっと待て、タワシ。
それ、本当に気持ち悪い。
どうしよう。
ブタクサがきた。
クシャミがでる。
秋がとうとう来た。
それではみなはん、また明日。
この場所で。