「意味を問う意味」なんてはじめからないのである。

時代はマッハの速さで移り、そして変わる。

会わなくても会っているような、せっかく会っているのに目の前の人間より携帯電話の向こうの文字が気になって仕方ないような。

一体本当に欲しているものが何なのかわからなくなっちまったんじゃなかろうか。

それとも単に欲張りになったのか。

時代はいつも便利である。

しかし便利さと引き換えに失うものに、我々はあまりにも無頓着だ。

昨日コンビニで買ったお菓子はなんだったっけ?

さっき読み終えた小説のストーリーは?

欲しかったはずの一切合切があっという間に日常の中に埋もれて見えなくなっていく。

最初から何もなかったみたいに。

そういう毎日に違和感すら持たなくなっている。

それはきっと物事が一方通行だからだと思うのだ。

忘れてしまうことは悪くない。

ただ忘れたいわけじゃないことは、忘れてしまう前にそれを行き来させて、思い出に変えるのもいいな、と思うだけだ。

そういう場面にぴったりとはまるのが「対話」なんだと思う。

読んだ本の1行でもいい。

誰かに向けて発したら、思いもよらない何かが返ってくるかもしれない。

それだけで、忘れてしまうはずだったその本のその一文を一生覚えていて、また誰かに話したりするかもしれない。

難しい言葉なんていらないし、深いことがいいわけでもない。

「体温」だ。

体温によってその物や事は生き続けるのだと思う。

優しさは弱さではなく強さだし、集合体は依存ではなく共存だ。

水と油。

上等だ。

ひとつのかたまりのなかで混ざり合いわからなくなるような関係ではなく、形を変えながらずっとある。

そういう関係は全くもって上等だ。

 

ふぅ。

ひと息いれよう。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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