メゾン・カイザーは好きだが同時にカイザー・ソゼを毎回思い出す。映画『ユージュアルサスペクツ』のこと。

毎日ブログを更新し、徒然なるままにオープン・ザ・タワシヘッドしているわけであるが、タワシがつくりあげたいものはおそらくつまり今で言う「コミュニティー」ではない。

そんな気がしている。

それではタワシ君、きみはいったい何がしたいと言うんだね。

と、社長とか会長みてぇな爺さんに言われたならしどろもどろになりながらも答えはひとつ。

あくまでもタワシは「いらっしゃいまし」を作りたく、決して「おかえりなさいまし」ではないのだ、と。

人は色々なものに縛られて生きている。

例えばタワシで言えば、月曜から金曜の9時から17時半まで会社に縛られているし、なんなら家を出る7時12分から縛りはスターティンしている。

しかしこれがあるから土日に美味しいものを食べたり、欲しいものを買ってご満悦になれるわけで、今のところ自分自身とは切っても切り離せないオモリでもある。

こういうオモリを背負って人は人生を歩いている。

背負う時、同時に仮面をかぶり、自分の部屋の鍵をかけている。

そのオモリを束の間床に置き、仮面もテーブルに置き、自分の部屋の鍵を開けて肩から丸まっていた羽根を広げて飛ぶ。

上空から、果たして自分の部屋には何があり、ホコリを被っているそれは大事なものか要らないものか、部屋の間取りはどうか、そもそも間取りは気に入っているのか、部屋は狭すぎるかとか広すぎるかとか見下ろして欲しい。

今一度確認して欲しい。たまたま居合わせた誰かと、持ち物の物々交換をしたり、いらないからあげてしまったり、期せずして宝物をもらったりしてほしい。

そして朝が来る前にまた羽根を丸め、仮面を被り、オモリを背負ってあなた自身が戦わなければならない場所へと、せめて今日1日を乗り切れるオマモリを手に帰っていってほしい。

そういう場を提供できたらいいな、と思っている。

往々にして距離感が人を傷つける原因になることはある。

だからその長さには繊細でいたい。

そのためにおかえりではなく、いらっしゃいでありたいと思うのだ。

チンプンカンプンだったらごめんなすって。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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