考えるための時間がたっぷりあるより、考える時間がない時のほうがより考えたりする。それはたぶん「不自由な今」を否定しているからだと思う。土日にタワシの思考が停止するのもおそらくそれが原因だ。否定と言ってしまうとネガティブだが、実はそうでもない。
ありあまる富を持ったことはないし、ルッキズムの世界でタワシは残念な場所に生息している。
そう言ってしまうとこれもネガティブだが、実はそうでもない。
ネガティブありきのポジティブありきのネガティブありきのポジ…であり、これがあって加速度的に螺旋状に上昇している気がしている。
こう思うようになるまでには何度も現状に、現実に地団駄を踏んだし、怒り狂って怒鳴り散らしたりもしたんだろう。
忘れてしまったが。
何かを否定するとき、思考は高速で回転する。
なぜ、どうして、不公平だ、などなど。
怒りのエネルギーは強力だ。
そのどうにも憤慨して収まりきらない感情を自分の庭だけで放し飼いにしておくと(これは自分には嘘をつかないという意味で、人に当たり散らすという意味では決してない)そのうち疲れ果て、怒りを持ち続けたまましーんと鎮まりかえる時が訪れる。
そう、どうにもならんと悟るわけである。
ここからである。
右肩がぐわんぐわん上がるしかねぇことになるのは。
怒りのエネルギーが突き抜けて底をつくと、金輪際どうにもならねぇことにかかずらわってる時間などないと、心底思い始め、オマケになぜか達成感まで心に宿る。
なんで?
よくわからん。
が、そうなのだから仕方ない。
こうなってくるともうトンチンカンである。
ネガティブとポジティブ、陰と陽、プラスとマイナス、おれがあいつであいつがおれでみたいな、掛け布団と敷き布団みたいな、ホットケーキにバターとハチミツとシナモンみたいな、つまりセットのようなものだ。
敷き布団がポツネンと敷いてあったら、いやいやこのあと絶対掛け布団来るでしょと思わずにはいられない当たり前のセット感になってくる。
なんかもう最初のタイム イズ 思考からどんどん遠ざかってる気もするが、これはこれですんませんがよろしくです。
ふぅ。
風呂、入るか。
それではみなはん、また明日。
この場所で。