おはよーっつって起きたけど、おやすみーっつってもう寝たい。
日をまたいで起きてるなんて普通のことだったはずなのに、50も近くなると普通じゃなくなるのだ。
よく「普通ってなに?」というが、普通は常に変化しているので答えは変わる。
今日会って「普通」について散々話し、10年後に再会したならお互いがお互いを「この、嘘つきブタヤロー」なんつって大げんかになりかねない。
そんなふうに常に変化する無常の世界だからこそ「今」を大切にしないとな、と思春期のタワシは思うのだ。
せっかく合った価値観のようなものが、その瞬間が、明日も続いているかどうかはわからんわけで。
ただ言えるとしたら、今だ、と思ったその時を大切にした人と、そうしなかった人の未来はちょっと違うということくらいだ。
しかし、そのちょっとは積み重なりがちということだ。
人間は同じことで安心する生き物である。
だから初めて行く場所の道筋が、行きは長く帰りは短く感じるんだと思う。
帰りは「この道知ってる」という安心感が時間の捉え方を変えるのだと。
「今」をきちんと大切にした人はそのことで安心を経験し、次も「今」を大切にすることになる。
いや、これいいじゃないの、と知ってしまったからそうしてんだわ、ということなのだ。
つまり習慣になる。
間違えちゃうこともあるけれど。
変人だと拒絶されることもあるけれど。
それでもあの日の安心感が明日もチャレンジの背中を押してくれちまうから、おいおい、なんて言いながら「大切」を選択できる。
小さな一歩は自分が思っているよりちょっとデカい。
さて明日が一攫千金みたいなタナボタになりますように、と、わっるい顔をするタワシの金曜日である。
それではみなはん、また明日。
この場所で。