気持ち悪さを無視すんな

常に怒りで命のエネルギーの燃焼を補っているが、この怒りをストレートに表に出せば、甘いとかヘボいとか、読むに耐えないとコテンパンにぶっ叩かれそうで恐ろしいので、気持ち悪さを感じるとか気味悪いと呟いてみる。

それはとても卑劣なマウントだということはわかっている。

なぜなら怒りは良くも悪くも正直だから。

しかし、気持ち悪いとか気味が悪いと言えば、怖いとかうざいもそうだがなんとなく自分が正当で相手が不当な気がしてくるからだ。

そういう小賢しい手を思いつくあたり、タワシは本当にポンコツたぬきである。

しかし純粋な気持ち悪さや気味悪さというのは抽象的な感情で、自分でも理由がよくわからないということが多い。

それはつまり限りなく直感に近いブルーなのではないだろうか。

あ、ブルーは関係ない。

なんでも知ってるグーグル大統領が、いろんな事を嘘も誠も混じえながら、秒で教えてくれるのでもはや人類に直感は不要なのではという気がする。

食べ物なぞ賞味期限という数字が危険を教えてくれる。

こりゃダメだ、という匂いを嗅ぐことはもう殆どない。

匂いは命を守るためのものではなく、フレグランスで癒される時代となったのだ。

タワシも柔軟剤の匂いは大好きだし、自分からも香っていてほしいと願っているが、もはやカレーの匂いでおセンチな気分になる時代はグッバイで、人工的な香りが幸福な気持ちを運んでくれる。

それが良いとか悪いとか、そういう話ではなくただ、違いがわかる人間でいることはこれからとても重要な気がします。

と、思っているだけなのだ。

得体の知れない多幸感に飲み込まれることが本望なのかそうじゃないのか。

少なくともまだタワシは自分の感覚をジャックナイフよろしく尖らせながらサバイブしていたい。

突然腑抜けになる夜もあるが、そんなことはすぐに忘れてまた尖りながら生きるのだ。

 

さて。

何を書こうとしていたかはとっくに忘れてしまったけれど、昨日よりはマシなはず。

ふぅ。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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