News Picksで「ハイパーハードボイルドグルメリポート」のプロデューサーである上出 遼平氏のインタビュー?を最初の15分だけ観ることができたので試聴する。
3つの言葉がタワシの中に響き渡る。
自分勝手な解釈をする。
全てを試聴していないし、彼はそういう意図で発言したわけではないだろうし、あの強烈な言葉を勝手に自分のほうへ引き寄せて考えたので、そこは悪しからず、です。
備忘録のようなもので文章はとっちらかっているので、適当に読み飛ばしてください。
「大前提として、まず自分が呪われていて人々も呪われている。」まずこの言葉には頭にたらいが落ちたみたいな衝撃をうける。
あぁ、そうか。
呪われている。か。
呪われていると言いきれたら、あれもあれもあれも自分のせいだ、自分のせいだったのかもしれない、という後ろめたい罪悪感が、呪われているせいだとしたら仕方がなかったと言って前を向けるかもしれない、呪いが救いに変わるかもしれない、とそう思った。
呪いを持ってうまれてきてしまったたんだとしたならば。
そして「見える世界と金の話しかしてないんじゃないか。」
見える世界こそが、理論的で有能で正常という世界観のこの世の中では、見えない世界の話をしようとする時にどうしても前もって言い訳をしてしまう。
今から言うことは怪しげだけど、私はこれを怪しげだとわかっているから怪しまないでね、と。
タワシがロマンのあるオカルトが好きだという時はいつも予防線を張っているわけで、その前置きが小さく自分自身を傷つけていることも知っている。
そして金。
心底嫌っているが心底依存しているもの。
大嫌いなのは、手に入らないから。
一部の人は簡単に手に入るというが、まずその「簡単」がタワシには興味が湧かないので簡単ではないこと、だったら本当に金が欲しいとは言えないのかもしれない、と思っているが、そもそも結局は金がつきまとう世界にいるという怒り。
そんなことを思った。
それからこれ。
「本当の欠乏を感じると、ようやくそれをどうやって充足させるかという頭が働き、充足できた時の幸福を、手触りをもって感じることができる。」
そう。
まさにそうなのである。
おそらくアートという分野の才能はまさにこれなんじゃないかと思う。
欠乏を充足させる行為なのだ、と。
全く売れないがアーティストとしてタワシは思う。
欠乏を埋める行為と、欠乏していないが、オシャレのひとつとしてアートを生み出そうとすることは全く別なのだ、と。しかし売れてなんぼの世界である。認められてなんぼの世界である。奪わないでくれと思う。そして「ありあまる富」を聴いて涙をポロリンチョするおセンチなタワシである。
しかしこれら全てが人生なんだろう。
しょっぱいから甘いのだ。
今夜もスイーツを食べてぐっすり眠るのである。
YouTubeもたっぷり観るのである。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
登録をどうぞお忘れなく。