浮き足立つ金曜。
夕方。
帰り道。
で、から揚げの匂いがぷうんとしてきた。
お、真綿のような真っ白いご飯とから揚げが食べてぇ。
他のおかずはいらない。
ただそれだけを交互に食べる幸せが古い家の古い窓から漏れる白熱灯の黄色から滲むように香る幸せの雛型。
なぜから揚げを思い幸せを嗅ぐわうのか。
あぁ、幸せとはもう一度食べたいと思わせる味わいなのかもしれない。
つまり幸せは未来じゃなく過去に隠れているのかもしれないという仮説である。
そう考えると幸せはまたやってきそうだと思える。
過ぎ去ったあの日の味わいだもの。
きっとまた来るわ。
しかしだよ、大量にばら撒かれるチラシのように、味わったことのない幸せを「これが幸せの一択だ」と言わんばかりに押し付けてくる「自称幸せ株式会社」にタワシは生まれてこの方踊らされ続けていないか?
えい?
幸せは自分で定義しろ。
感じた幸せを日々断言し続けろ。
ラッコとビーバーが身体を掻いている動画を観るのが大好きだ。
だからなんだ。
幸せなんだ。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
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