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「選ぶ」と「選択」は似て非なり。

なんつって。

選ぶって事の向こう側には選ばれる側がいて、選ぶ単体でも選ばれる単体でも成立しない。

選択ならば向こう側には違うものがふたつ以上ある。

どちらも複数でひとくくりの共通点がある。

しかし互いは似て非なり。

なんつって。

まず選ぶに関しては非常にトリッキーである。

ヤカンが「選ぶ」なら水は「選ばれる」となる。

世にも美しい人々が朝イチで飲むアレを作るのにヤカンは必要だ。

しかしあくまで主役は水なのだ。

ヤカンがなけりゃ白湯はできないけれど水のないヤカンは単なる高飛車な横顔。

選ぶと選ばれるにはそういういびつさがある。

お互いに少しずつ本質からずれていくような。

そして選ばれなかった者に選択肢はない。

一方で「選択」は選ぶ選ばれないみたいな片思いがない。

これもトリッキーというのは独断と偏見だが、選択って選択する側は選んでいるんだけれど、複数ある側は別に選ばれたいなんてこれっぽっちも思っていない。

通りすがっていたら呼び止められて道を聞かれた、みたいな。

道を聞く側は相手を選んで聞いているが、呼び止められた側は呼び止めてもらいたいとは思ってなかったし、呼び止められなかった通りすがりの別人も「あぁあ。アタイは道を聞かれなかったわよ」などとはこれっぽっちも思っていない。

つまり単なる平和である。

まぁ、そんな感じ。

え、どんな感じ。

ムズイっすよ。

独断と偏見だし。

 

はぁ。

明日はハナキンである。

前倒しで夜ふかしがしたい。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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