晴れた朝と納豆と最高。

納豆をかき混ぜて茶碗に乗せるまでに半透明のプラプラにへばりつく1、2粒の納豆を集団に戻す時、うまくできずにイラついてやった行動で指にベトがつく。

さらに集団をかき混ぜる際、縁を飛び越えた一粒は360度どこに飛び出したっていいはずだが、左手親指の先にベトをつける。

その度に手を洗うのだから朝の多忙な時にはなかなかどうして目の上のコブタンである。

なんてったってメインイベントの茶碗洗いなんて地団駄を踏むほどにベトベトが取れないんだからタワシのお鼻は常にフンガフンガしているのである。

それなのに夜のとばりで眠りにつく頃、目が覚めたら納豆ご飯が食べられるぞ、なんつってワクワクするのだ。

今朝も地団駄を踏みながらベトベトを落としながら「許容」というのはこういうことかと考えた。

タワシは納豆が大好きだ。

この大好きが前提としてあるから許容が存在するんだ、と。

会社とか組織とか同じ時間に同じ電車に乗る無関係の人間とか、たまたま括られた好きでもなんでもない人間を許容するなんてナンセンスなのだ。

「許容」とは「玉に瑕(たまにきず)」であり、ほんのちょっとの欠点であり、よくも知らねぇやつを無条件に許す事ではない。

「まぁまぁまぁまぁ」と他人に言われた時点でそれは許容ではなく甘受じゃないだろうか。

これから世界は許容に向かっていくんだろう。

しかしまず好きじゃないと許容はできねぇ。

そんなことを思う納豆朝のタワシである。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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