朝っぱらっからなんて言い方はちょっと失礼ではないか

今朝もなぜか4時に目が覚めた。

眠いのに神経が寝たくないと言い張るので眠れず、眠い。

そういうことだから6時には、延長しようと思っていた図書館で借りた本が期限切れだったので慌てて自転車をすっ飛ばし返却ポストに返してきた。

遅れてごめんなさい。

それから昨日の続きの絵を描いて8時半、今週の食材の調達をまるっとしてきた。

ふた汗かいてまだ9時22分。

洋服も着てるし、まだ寝てる人だっている早朝からもうあとは好きなことだけやればいいっつうカードを発行されたのだ。

なんか最高よね。

することやってからの自由こそ、素敵な大人がやる自由ってやつだから。

世の中にはいろんな人がいて、再び自分のことは棚にあげて言うが、それダメじゃんて思う大人がたくさんいる。

一見素敵そうに見える人が思いの外該当していたりしてなんだか残念な気持ちになったりする。

そういう人は大抵引きが強い。

耳触りの良いことっていうのは理解しやすいので、コーヒーシュガーが淹れたてのコーヒーに溶けてなくなる速さで心に攪拌をおこす。

だから親近感を覚えて惹かれるが、本当に大事なことはそのわかりやすさの奥にある誠実さではないだろうか。

誠実であれば誠実なほど耳触りの良い言葉をすっと人に伝えた後の責任を重く捉えているからやすやすと言葉にはできないと思う。

本気で何も思っていないので何も言葉にしない人との区別がつきにくいので、初めは目立たないがちゃんと見ていれば一目瞭然だ。

そのためにも人の話をじっくり聞くことは重要だな、と思っている。

日曜美術館を観ないでタワシは何を考えているんだろう。

雲は何を見ているんだろう。

雲を見ている自分は何を思っているんだろう。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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