思いの丈 vol.1 〜アートについて〜

自分の思いを整理してみる。

未来で挑戦すること→大好きなアートと大好きな思考をガッチャンコ。

またの名を融合。

さらにまたの名をマリアージュ。

ついでにともだちっつうのも有りだ。

 

そしてここでいうアートとは。

アートが表現であるならアートはちゃんと自由であるべきだ。

誰もが名前を知っているアーティストだが本当は良さが全くわからんアートはそもそもアートだ。

誰もが名前を知らないが意味が痛いほどわかったり、わからなかったり、後付けてみたり、誰かに勘違いされてみたり、痛いところを突かれたりするものも生粋のアートだ。

タワシは後者のアートを楽しむために、新たなチャレンジをし始めている。

自分が創造したものを存分に鑑賞し、思考することで、そしてそのことを楽しむことでアートは完全に完璧に素晴らしきあなただけの作品になる。

誰かに評価されなければアートと呼ばないなんつうのは感情への冒涜だ。

評価されてもされなくても、堂々とそれはアートなのだ。

創造し、何を思考できるのか、誰かに勝手に思考されるのか。後付けで最もらしい言葉を紡いだるのか。

そういうことを楽しむゲームができる。

そんな好き勝手に遊んでみたところでどうしようもなく、本質は残ってしまうのだと思う。

思考が導くものだから。

もしくは本質に限りなく近いところで佇む「余白」だと思う。

余白は単なる空っぽじゃない。

大切なもののためにわざわざ空けておく場所。

王座である。

余白ある人生を。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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