散歩と対話

アン・ミカ氏が言ってた。

彼女の友だちや親戚には三途の川まで行って帰ってきた人がいるらしい。

どうやらそこで見せられるものってのは、自分の経験だけらしい。

タワシは毎日毎日怒りに燃えていて、しょっ中その怒りの思いの丈をぽ氏に力説してしまう。

それを黙って聴いてくれるぽ氏にマジ感謝。

力説している最中に、頭で考えて怒っているだけでは気づけなかった結論がパッと浮かぶことがよくある。

今日気づいたこと。

なぜそんなにも怒りに怒っているのか。

それは結局ズルい奴が得をする世の中だということにまず怒り、ズルいと思いながら、じゃあ自分もそうすれば良いではないかっちゅう話にできず、自分もズルい人間ながらも人として誠実でありたい、と思わずにはおれず、そうなるともう未来永劫損すんだな、おいしいところは上っ面だけピッカピカ人間に持っていかれ続けるんだな、と怒りが込み上げてくるのである。

しかしタワシが見ている「世間的に得をする」事が果たして自分自身の心と身体にとっても得なんだろうか。

人からの評価はある程度の指針になるかもしれないが、所詮偶像だ。

自身が体験した経験から自分は何を得たかを知る事それが豊かさなんじゃないだろうか。

だとしたならば、クッソと思っているこの日々から学びを得ようとしているタワシは三途の川にたどり着いた時に初めて満足できるのかもしれないな、なんて思ってしまった。

まぁね、怒りのひとつひとつに向き合うのは本当に疲れてしまうので、どうにか自分を納得させるように思考し続けているだけかもしれないけどね。

しかしミカの話はなんだかこの道で合ってるよ、と言ってもらった気がして嬉しかったのだ。

相変わらず愚痴のオンパレードで申し訳ない、とぽ氏に言うと「でも当事者だからね、君は。」と言われた。

つまり経験しているってこと。

なんか救われたっつう話。

 

さてさてみなはん、また明日。

この場所で。

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