科学博物館にフーコーの振り子がデデンてあって、大きな丸い球がぶらんぶらん振れていて、近くにはその原理が書いてあった。
読んでも全くわからず「意味わからん」と呟いたそのとなりにタワシの1/6くらいの歳の女の子がテケテケとやってきて「こうやって地球は動いてるの。こうやって。」と呟いた。
そうか、相変わらず意味はわからんが、人生につまずいた時は、小さくとも声に出すことが大事で、声に出せばそれは誰かに届いて、そしてなにがしかのプレゼントみたいなものをそっと置いてくれるんだな、と思った。
役には立たないかもしれないけれど、立ち上がるための杖が与えられるんだな、と、もしかしたらフーコーの振り子の原理よりも大事かもしれない原理が舞い降りてきた。
ありがとう。
さて。
今日も思うことがあった。
「生きる」ことと「幸せになる」ことはディファレントなのではないか、ということ。
生きていれば幸せになりたいのは当然だが、それは生きていく上での「目標」のようなものなんじゃないだろうか。
幸せこそが生きていることではないのだ。
「生きる」ということは「実感」であり、その全てであり「幸せ」だけを示すものじゃないのである。
だから幸せになりたいと思っている時の自分が、今の自分は全然「生きて」なんかない、というとするならばそれは違うんじゃないか、と。
幸せになりたいと願いながら「今」を懸命に実感していることはすごく生きていることなんだとタワシは思う。
以上。
なんだけど。
それではみなはん、また明日。
この場所で。