施餓鬼

やると言ったまま、半分も手をつけていない実家の襖貼りに、とうとうママンの堪忍袋の尾が切れた。

しかしこっちにだって理由はあるのだ。

枠が釘で留められていて外れない。

さらに糊付きの襖の糊の効きが無いに等しいくらいにない。

だから貼っても貼ってもペロンと剥がれてきてイライラして、つまりお手上げなわけだ。

しかし紙は買ってしまったんだから、そんな事知ったこっちゃないらしい。

じゃあ手伝ってくれ、と言ったら「嫌だ」と言う。

そんなら1日1面ずつだ、と言って不貞腐れながらも1枚を貼った。

すると夜、電話が鳴る。

出る。

「ちょっとアンタ、襖がひどい事になってんじゃないの!」とクレームが。

どうやらシワッシワで見るも無惨に剥がれているらしい。

不貞腐れたぶんだけシワシワになったんだろう。

タワシは素直だから。

それにしても翌日朝から補修させられ障子も張り替えろと罰も与えられ、散々な目に。

さっそく今日はサボったった。

 

さて。

今日は施餓鬼ということで朝からお寺さんへ。

チャットGPTに聞くと、これはこの世に未練や苦しみを残してさまよう霊たちに、「どうぞお召し上がりください」と手を合わせてごはんをお供えし、あたたかい気持ちを届ける行事らしい。

つまり徳を積むということになる。

 

10時。

車を出してくれるはずの親戚のおじさんがその事をすっかり忘れているわ、花屋さんに頼んでおいたお花を取りに行くも、お花屋さんも用意をすっかり忘れているわで高齢化社会の現実をまざまざと見せつけられたが、誰かのためになる施餓鬼だ、穏やかにいこうぜ。

 

いつ行っても墓参りはいいもんだ。

仏具をゴシゴシ洗えばご先祖様に褒められてる気がするし、手を合わせてお参りすればなんか人生の角度がより良い方向へ向いた気もするし。

 

ヨスッ。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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