ランチ時に実家へ行き、冷蔵庫を漁るというドラ娘のタワシである。
最近のタワシトレンドは生食パン、と言っても1,000円とかで売っている本物の生食パンではなく、どこででも買える普通の食パンを焼かずに生で食べるという意味においての生食パンなんだが、それをまずは耳からぐるりと3口ずつかじり、牛乳をかっこんで素敵なマリアージュを堪能する、というのにハマっている。
うちは朝はヨーグルトとバナナなので特に食パンが必要ないので常備していないが、実家は朝にパンを食べるスタイルなので、行けば必ず冷蔵庫に食パン様が鎮座していてくれる。
さらに言うと、超熟は生でかじると耳がパサパサなのに比べ、ロイヤルブレッドは耳すらも貴族のしっとり感があって、鎮座ブレッドがロイヤル様だと嬉しくてちょっと浮く。
まぁ、そんなことで浮くくらい幸せってやつを感受できる自分が幸せだな、と思う。
しかしそんな至福の時をパパンがぶち壊した。
かじるパンのその途中でパパンが言う。
「そろそろお前も仕事さがせよ」と。
パパン、オレはずっと探してるんだよ。
なんなら前職を辞める前から探し始めていたんだよ。
それを、幸せそうに生食パンと牛乳をかじり、飲んでる呑気なタワシの今の場面だけを切り取って、あたかもずっと何もしていないみたいな言い方、よしてくれ。
タワシは一気にピリついた。
いや、昔のタワシならばそれがどんなにタワシを侮辱した言葉なのかということを一気に捲し立て、足を踏み鳴らし、扉をバタンと強く締め出て行っただろう。
けれども歳のせいか、その通りだとどこかしらで思っているのか、怒り狂いもせずにただ「ちゃんと探してるよ」と静かに返し牛乳を飲んだだけだった。
もちろん心は一気に自分を責め始めるわけで、気分は最悪だが。
パパンにタワシを傷つけるつもりなどなかっただろう。
そんな気は今まで一度たりともなかっただろう。
ただ、昔から言葉の呪いにかかったまま生きているタワシにとって「それ(で)いい」と「それ(が)」とか、「また連絡(して)」と「また連絡(する)」とか、「(普通に)かわいい」と「かわいい」とかは似て全く非なるものなわけで、生パンと牛乳で容易く幸せを感じるのと同じくらい、容易く傷つくのだ。
その傷の蓄積が人を信用しないという今のタワシを形成した。
誰のせいでもありゃしないが、人とのコミュニケーションの手段がほぼ言葉である現代においてタワシみたいな言葉の呪いにかかった人種はいちいち生きづらいだろうと思う。
なんで急に黙るんだ、とか急に機嫌が悪くなったんだ、じゃないのさ。
アンタの言葉に傷ついたのさ。
誰しもいろんな気持ちを抱えて生きているのだから、どっこいどっこいだとは思っているが。
つまり幸せは不幸と隣り合わせであっちへ行ったりこっちへ行ったりしてるってことなんだろう。
それが人生なんだろう。
仕事みつかるのかね。
そりゃわからん。
でも無常というからそのうち見つかるさ。
ということにしておこう。
だって今日はフライデー・チャイナタウンだし。
それではみなはん、また明日。
この場所で。