本日は「LOVEファッション一私を着がえるとき」 へ行く。
その前に「藤田嗣治 7つの情熱」へ。
フジタのあの独特なヘアーカットが、裕福でなかったが故に、髪が伸びると自分で切っていたからだということを知って驚いた。
究極のオシャン族がギリギリを、いや、何ならギリギリのその向こう岸へと行っといてそれでもオレオシャンに見えちゃうんだよね、と、すかした自慢をするためのヘアーカットだと思っていたから、フジタもオシャン族ヘアーなんだと思っていたのだ。
すまぬ、Mr.Foujita殿。
さらにタワシは発見する。
フジタ独特のあの陶器のような白い肌はつまり「無機質感」なのだ。
顔の輪郭を人差し指で隠してキャンバスを見ると、なんと背景のホワベと顔のホワベ色が同じだと気づいてしまった。
無機質な背景の色と顔色を同じにして光を差してあげれば陶器のようになる。
これってタワシの大発見だと思うんだけど。
いろんなスタイルで描いていたことも知らなかった。
オモロイなぁ。
ファッションの展示も、小説の一節と服をリンクさせながら、ファッションの持つ影響力が時として本来の人格を歪めていくような、そんな恐ろしさがあった。
また、上階の「愛について」の展示もなんつうか、良かった。
アートは意味がわからないものが多すぎて、謎だからそれの前に佇み「何を表現したいのか」を勝手に汲み取ろうとする、何かを感じているわけではないのに、汲み取る時間ぶんだけ、通り過ぎない分だけ盛大なアートでございと言わんばかりの態度であぐらをかいているような、そんなものばかりの中で、愛についてかどうかはよくわからなかったけれど、作者の魂が込められているのを感じたからである。
わけのわからんアートに下駄を履かせすぎていると考えるタワシには「愛について」はすごく良かったのである。
タワシが理解できないだけだと言われればその通りだが。
でもアートはもっと開かれるべきだよね。
さて、1日歩いて心地よい疲労感と共に寝ることにする。
それではみなはん、また明日。
この場所で。
1件のコメント
フジタの発見と愛について!
興味深いですね!