吾輩は天才である。

名前はまだ売れてない。

なんつって書いてみたが、あながち間違えてはいないと思う。

そもそも天才って何なんだって考えると、その他大勢の人間とは違うって言い方もできるわけで。

その先では「人々を救う力を持っている」に繋がっているんだと思うのだけれど、「力を持っている」と「力を使う」は別問題なのではないだろうか。

 

さらに言うと、天才ではない人間が天才を理解することはできないだろう。

男が女を、女が男を理解できないように。

だって「違う」んだもん。

大勢の人に理解されない人間、つまりその他大勢とひと味違う、という意味ではタワシはそう、天才なのである。

と自負している。

こっちの天才には誰も目を向けやしないが。

それは「あなた」を有利にする力がないからだ。

人間は自分に有利、あるいは利益をもたらす人間が大好きだ。

そして、自分の役に立たない人間には冷たい。

まぁ、それ、普通のことなんだろうけど。

 

でも考えてみてくれ、この矛盾を。

みんながみんな、血眼になりながら平静を装って、自分に利益をもたらす人間だけを手元に置いておきたいとしたら、自分自身も常に誰かに利益をもたらす人間であり続けなければいけないということになる。

それって誰かのための人生だよね?

え、今「あなた」が生きているのは自分のため?

誰かのため?

一度しかない人生、なんちゃららって言うあれ、誰かのための人生じゃ成立しなくないか。

 

ところでタワちゃん、なんでアンタ自分を天才だと言ったのよ。

って話について詳しく説明すると、朝起きて轟音で鳴り響くオシャレ扇風機をつけたままYouTubeを観ていたが、これがスピーカーをつけてもうるさくて全然耳に届かない。

聴こえぬストレスと、暑いというストレスを天秤にかけ、タワシは扇風機の電源を切ったった。

そして後ろにあるキッチンの換気扇をまわし、心を沈めて風を感じる努力をした。

すると微かに涼しい。

ここまでいくと両二の腕がヒンヤリしていることすら感じ取れる。

これで大丈夫。

扇風機はいらない。

涼みながらYouTubeを観ればいい。

「足りない」が呼び覚ます能力は半端ない。

これを天才と言わずしてなんと言う。

だ〜れの役にも立たないけれど。

 

さてタワシはバカか天才か。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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