例えば「かきくけこ」とか「さしすせそ」を「たちつてと」に置き換えて言えば、嫌われる事、承知の発言も受け入れてもらえるだろうか。
なんならかぁいいなんつって好かれちゃったりしないだろうか。
そういう意味の「ちらわれる ゆうち」である。
方言が響きをマイルドにしてくれるならば大都会、東京砂漠に方言はなく、圧倒的にずっちいのだから。
ゆえにとれをちたってはなちたらみんなのおたおをやたちいたんぢにでちないだろうた?…おぅ。
何がどうちてどうなったかわからんじゃないか。
チッ。
ちなみにこれは舌打ちなので元々のチであり…ややこしい。
さて、愚問はポイだ。
嫌われるのは実にムズイ。
いや辛い。
なぜ?
これは嫌われている事による弊害が大きいからだ。
傷つくし。
しかしこれが個人ではなく事業なら?
話は変わってくるかもしれん。
本日のミストン先生の経営塾のトピックで考えたこと。
あえて嫌われにいく予定はないが、どう努力したって人は理由をつけて嫌うのだ。
大昔、列に並んでいたらそんなに仲良くないクラスメートに「かわいい。だから嫌い。」と言われて脳天に雷が落ちたみたいな衝撃を受けたことがある。
嫌われる準備はしていなかった。
言わないだけでタワシなんか大っ嫌いって人は存在している。
勇気を出すまでもなく結果は出ているのだ。
こんな夜更けにそんな話はやめてYouTubeを観よう。
なんだ、タワシはいっつもいっつもYouTube YouTubeって。
文明の利器に逆らうほどストロングではないのでやはりタワシは観るっちゃ。
時計の針らがてっぺんを越えるまで。
それではみなはん、いってきます。
また明日。
この場所で。