POTOLI TO PUTOLIの事について、本気で決意して始めたら、毎日が目まぐるしく過ぎるようになった。
人に雇われて仕事をする、という感覚が自分にとってどれだけ横柄な心持ちだったのか、と思い知らされる。
自分は真面目なほうだと思うが、明らかに毎日仕事に行きたくなかったし、早く帰りたかった。
それは仕事そのものに対する熱意とは別の、いわゆる人間関係のようなものや、自分がもともと抱えている性質のせいだったりもするけれど。
もうお気づきの方もいらっしゃると思うが、ワタシは少しヘンテコだ。
OCD(強迫性障害)を持っている(はず)。
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そんな感じでコドモの頃から生き辛いぜ、とは思っていたが、「社会」というマジョリティーの中に紛れ込む事ができないんだ、と諦めたのは去年の事だった。
運良く薬が効いて、現在気分は少々アゲアゲだ。
しかしこの先いつ引退できるかわからん世の中で、いつまで心をすり減らしてギリギリの生活を送り続けるのだろう、と想像したら未来に黒いペンキが投げられた。
だから決めたのだ。
少しずつでいいから重心を自分自身へと移動しよう、と。
そして今、
自力でお金を稼ぐという事がどれほど大変なことなのかを思い知らされているのである。
だがしかし、自分の好きな事をやり始めたら、今までビビって出来なかった事が「挑戦」とか「チャンス」、「課題」という言葉に次々と変換されていくではないか。
こうなるとおそらく「失敗」の意味もまるっきり違ってくるような気さえする。
1番恐れていた「失敗」なのに。
もっと若かったらな、と思わないとは言わないが、重要なのは「今、楽しいかどうか」なのだ。
未練でも期待でもなく「今、自分が楽しいか」だ。
だって「今」が未来を作るから。
人生の舵を自分の決意で切ってから、人に感謝するようになった。
ありがとうではなく感謝だ。
辞書がどう書いているか知らんが、年中無休のありがとうがワタシにとっての感謝だ。
今だって、書きながら一瞬でいろんな人が心に浮かぶ。
そう、今「私のことかな?」と思ってくれたあなたもあなたもビンゴなり。
ワタシはあなたたちにとても感謝しているのです。
私という人間を上から無理に引っ張るんじゃなく、底上げしてくれる。
だから私の見てる風景はガラリと変わったのでした。
いつもふざけた事を書いているのはみなさんに甘えているんです。
また明日から甘えさせていただきます。
ヨロです!