なにを隠そう本日はマイバースデイである。
シシシ、ハハハの48才になりたて生まれたてのベイビーちゃんである。
とても気持ち悪いのはわかっている。
気持ち悪いとわかっていて気持ち悪い事を言いたくなる時がある。
例えばタワシが越路吹雪よろしく、ここで愛を語っても気持ち悪いのである。
しかし今日は気持ち悪い感じで愛を語らせていただこう。
もう何十年も、毎年誕生日にメールをくれるZちゃん。
タワシは薄情にも彼女の誕生日にメールを送らない。
忘れてしまうのだ。
たった一度、ベット・ミドラーのCDをプレゼントしたことがあるだけ。
だからこの日は少しだけありがとうの中にゴメンの気持ちが紛れ込む。
それでも変わらずおめでとうを送り続けてくれるZちゃんに、今日は「実はメール待ってた!」と送ったら「嬉しい!ありがとう!」と返ってきた。
なんてこった。
ヤバイ。
こんな人とずっと仲良くしてもらってるタワシの幸せは尋常じゃない。
これは紛れもなく愛だ。
また、まさかタワシの誕生日を知らないだろうと思っていたヒトからおめでとうのメールが届いた。
しかもブログを読んでくれていたし、ポッドキャストも聴いてくれていた。
知らない、知らない、全然知らなかった。
これも真っ向勝負の紛れもない愛である。
あの人は情熱の真っ赤なお花をドドンと送ってくれた。
たくさんのヒトがおめでとうと伝えてくれた。
これもそれもあれもみんな紛れようにも紛れもない愛なのだ。
タワシがそう思えばそうなのだ。
愛は時間だと思う。
誰もが身を削って生きている。
削られた身体の一部が時間だと思う。
誰かを思った時間も、誰かのために使った時間も全部、削られた愛のかたまりだ。
形はない。
形がないから、心の中しか置いとけない。
心の中しかないから誰にも奪えない。
自分の誕生日はいつも面倒臭いと思っていた。
照れ臭いとも思っていた。
早くなんでもない日になればいいと思っていた。
でも今日は愛を語りたいと思ってシマタ。
相当恥ずかしいけれど、ありがとうは全部伝えたいのである。
そういう性分なのである。
ありがとうはタワシもアナタも嬉しいから好きだ。
今日はとてもいい日だった。
ありがとうございました。
ちなみなのだが、
昨日からワタシをタワシにしていることに気づいてぷぷぷと笑ってくれた人がいたのなら、この上なく幸せである。