また

股ではない。

Waitでもない。

"アゲイン"の「また」である。

 

この「また」がワタシは好きだ。

さよならの時に、さよならではなく「またね」という。

だってそこには、伏し目がちな少女のまつ毛みたいな、儚いふさふさな希望があるじゃないか。

次回を決定もせず、だからといってこれが最後とは言いたくなく、勇気を振り絞って「じゃあまたね」と呟く。

そんなふさふさな希望は、ちょっとだけ幸せな感じがして好きだ。

 

だからほら、会社では「またね」とは言わない。

明日も明後日も会うことが決まっているから。

 

約束をして人が人と会うという事は、おそらくその向こうに、いつかまた会いたい気持ちがすでに含まれていると思う。

Zoomは便利で好きなツールだけれど、その終わりにどうしても伏し目がちなふさふさを想像する事が、ワタシはできないでいる。

 

誰かと会う時は1週間前から嬉しくてたまらない。

はやく来ないかな、と思いすぎて間の6日間を邪険にしてしまうほどだ。

6日間にごめんねと思う。

前日はもちろん寝つけない。

大変だけど、おばぁちゃんになってもそんなふうでいれたらいいな、と思う。

 

明日は土曜日だ。

そして明日の夜には土曜日に言うのだ。

「またね」と。

ワタシは永遠に土曜日に片思いだ。

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