アートと本と対話の店【ロイロ】

というキャッチコピーが、昨日の昼休みに半分口を開けてボーッとしてたら降ってきた。

【ロイロ】は【LOILO】と書く。

既にロゴも作ってある。

「色々」を平仮名にして「い」を取ってローマ字にした。

言っちゃあなんだが相当イケてる仕上がりである。

店は倉庫のようなガレージのような場所を改装したい。

黄色い電気と、高い天井。

自分で作った壁や床。

壁は書込みができるように黒板もいい。

ワタシはMakitaをこよなく愛するDIYヤーである。


アートは自分の作品を、それから骨董というよりジャンク寄りのアンティークはカナダの友達に買い付けを頼んである。

本は好きな本だけを(できるだけどんな本なのか説明したいので)、新も古も合わせて、対話は定期的にイベントを開催して、お客さんがまた来たいと思える刺激的な対話ができる場所を設けたい、と考えている。

そんなふうにボンヤリと近い未来のビジョンは出来上がっている。

しかし細かい部分や、続けていくための経済的な計画がスポンと抜け落ちたままなのだ。

自分が立ち上げるのだから、そこもしっかりと考えていかなければいけない。

苦手だから、などとそんな事は言ってはいられない。

なにせがむしゃらなんだから。

 

昨日のK先生の授業は、対話トレーニングであった。

これがとんでもなくキツイ。

キツイというと語弊があるが、まさに対話のトレーニングなので、沢山の制約がある中で対話をしなければいけない。

対話とは人が人と向き合えば自然と生まれてくるものだと思っていたワタシには、「良い対話」を構築するためにはある意味不自然でなければならないという衝撃の事実に、ドンつき正面からぶつかってしまったのだ。

これから対話のお店を出そうって時に。

むむむ。

なんとラッキーなんだ。

ここで対話の真髄を叩き込んでもらえるはずだ。

放課後も残って質問攻めだ。

K先生に「ぷとりが言う対話は“言葉”なのか、それとも文章なのか」と訊かれた。

な、なんですと!

たしかに!

たしかに文章の対話も存在していたではないか。

今ワタシがこうやって徒然に書き殴っている文章を読んで、ワタシと対話をしてくれている愛すべき変人の方々がいたではないか!

文章による誰かの想いを通して「自分」と対話する事もできるのだ。

対話とはもはや全てなんじゃないかとさえ思えてくる。

あぁ、思考がマッハの速さで走り出した。

とっ散らかるなよ、自分。

対話は日本的だ。

It’s so Japaneseなのだ。

ディベートとは真逆の代物だ。

ワタシのブローチは海を渡ってフランスでフィーバーする予定である。

その時に必ず「TAIWA」も持っていこう。

ジャパニーズ タイワ バンザイ だ。

 

夢はでっかく、鞄は小さく。

 

よし、今日はこれからまた別の哲学対話の授業だ。

アッタマ使ってぐっすり寝るぞ。

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