九段下の駅を降りて坂道を
人の流れ追い越して行けば
玉ねぎの歌は聴けば毎回シュンとなる。
悲しくて痛みを伴うが、よく風呂場で歌う。
玉ねぎはよく比喩として使われがちだが、フィーチャーされるのは剥いて剥いて真ん中だ。
Mr.Kは一風変わっている。
世間では「オタク」と言われるようなタイプだろう。
外見も何も気にしていない。
ボソボソと発する言葉は、だいぶ近くに行かなければ聴き取れない。
だがそれはなんでもない。
いわば玉ねぎの茶色い皮のようなもので、捨ててしまう部分である。
彼の中身は、黙っているがよく気がつくし、サボらない。
分かりづらいが優しさを兼ね備えているし、実はユーモアもある。
自分という玉ねぎの内へ内へと入っていくのも良いが、人という玉ねぎを傍観していると自然にその内へ内へと入っていき、本当に大事なものが何なのかを知ることになる。
1番外側にくっ付いた、取るに足らない茶色い皮がどんなものかも明らかになる。
人は兎角自分で自分を知りたがる。
自分探しの旅に出たがる。
ワタシもそうだ。
しかし人を観察していれば、ここでもどこでも巡り巡って自分にたどり着くような気がした。
だってスイカは丸いから。
人に探してもらう旅をしたいもんだ。