タワシが恩師と慕うS先生の、今朝のYouTubeのトーキングゥがドンピシャな朝だった。
あたまっから自分の機嫌が悪くなったのは相手のせいだ、と決めつけるのはイッツ ソー デンジャラス。
もしかしたらタワシの何かが相手を不機嫌にさせたのかもしれない。
その可能性をはなから除外して相手のせいにしてはノンノンである。
加えて、寄り添うまでしなくとも相手の置かれた状況や環境を覗いてみると、自分だってその状況なら同じことをしてるよな、というところまで掘り下げることができたりする。
するとノイズが消える、と。
ノイズが消える
という言葉はふわっと染み渡った。
人間とは本当に不思議な生き物だ、と思う
その時の感情で物事の捉え方が変わるんだから。
感情が全てを左右しているのだとしたら、やはりこの世のすべては空(くう)なのかもしれない。
色即是空。
私たちは空のなかを生きている。
なぜだ?
感情を味わうためか?
生きている確信を持った感情が空を「自分」に変えるなら、好きだとか嫌いだとかを感じながら接している相手も空だ。
有って欲しいからあって、居て欲しいからいる。
嫌いという感情を味わうために嫌な奴が存在するというのだろうか。
今打っているiPhoneも空。
今動いている世界は私がたったひとりで作り出した世界なのか?
本当は誰もいやしない?
がむしゃらか?
と言いたいが、ここで使う類ではないので飲み込む。
真実は重要じゃない。
だとしたらどうありたいかが重要なのだ。
タワシは常々「自分」の輪郭を自分で引いて自己を確認するよりも、タワシの周りにいるヒト達の輪郭線の連なりがそのまま自分の輪郭となるような自己確認がカッチョイイな、と思っている。
しかし、色即是空だとしたら輪郭さえも存在しないことになる。
全てが自分であり、自分というものの中では自己は存在しないということになる。
止まらないぞ、自分。
なんにせよ、この世の全てが自分の想像ならば天才クリエイターっちゅうことになる。
すごいぞ、自分…
読んでくれているヒトを置いてけぼりにして完全にファンタジーの世界へ吹っ飛ぶ前に、ハローみなはん。
ありがとう。
また明日。
晴れたらいいね。