ポン酢醤油があっても流石にそれだけで幸せとは言えない。
なんなら私はぷとりなのであっさりポン酢よりもこってり胡麻ダレ派である。
こんばんは。ぷとりからぶとりになりかけながらもかろうじてぷとりです。
「あなたは幸せですか?」
と、聞いてくる他人もそうそういないが、もしも聞かれたら私は「はい、幸せです」と答える。
最近気づいた事がある。
日々の中で社会に適応出来ず、小さいけれど辛い事や悔しい事があっても、その「社会」から一歩外に出れば、つまり17時半になれば幸せが戻ってくる。
朝、玄関を開けて手放した幸せが、夕方、自動ドアの向こうでみずいろの風と一緒に待っていてくれる。
なんちって。
詩人気取りでごめんなさいよ。
もちろん他の辛い思いをしている方々には当てはまらない、今の、自分だけの価値観だ。
偉そうに押し付けようとしているわけじゃあ決してないです。
ただ、完璧主義の私は今まで辛い気持ちや悔しい、悲しい気持ちがうまれると、もうそれは”完璧に”幸せとは言えないから「幸せ」じゃあないんだ、なんて漠然と思っていたから。
「あぁ、不幸せと思う事も幸せと同居できるんだ」
そんなふうに最近思ったわけでした。
そして新しい場所では幸せなことに朝、玄関で幸せを手放さなくても良くなった。
今のところ気分はアゲアゲだ。
いろんな人にありがとうだ。