記憶

突然、張っていたわけでもない糸がぷつんと切れる。

張ってなかったんだから切れる意味がわからない。

しかし切れちゃったんだから仕方ないよね。

 

人生には往々にして「仕方ないよね」がある。

私が「仕方ないよね」を仕方ないよね、と思えるようになったのはおそらく東京で最もポピュラーなトレイン、山手線でのとある出来事からだった。

もうすでに補修屋という職業は辞めていた。

私が言う補修屋は、木部補修の職人のこと。

主に建築現場で大工さんがちょっとだけ傷をつけてしまった建具やその枠、柱や床で、総取っ替えするような大きさではないモノを削って埋めて木目を描いて、なかったように補修する仕事だ。

工事現場での仕事なので安全靴とヘルメット、安全帯は必須だった。

バックパッカーみたいな大きなバックパックに敷物、ドライヤー、何種類ものスプレー缶、防毒マスク、養生紙、マスキングテープなどを詰め込んで更に工具箱を持っていろんな現場を渡り歩く。

かなりの重量になる。

一度、まだラッシュになる前の電車で、バックパックを背負ったまましゃがんで工具箱を開けようとしたら電車が揺れて、後ろに転がった。

死に損ないのゴキブリみたいな格好でとても恥ずかしかったが背負ったものが重すぎて立ち上がれなかった。

周りは見て見ぬふりだ。

まぁ私だってそうするけどさ。

 

そんな仕事なので皆、汚れても良い服装だった。

同年代の仲間がワイワイと現場に入り仕事をこなしていく。

楽しかったけれど長くやるには健康・体力共ににキツイと思って辞めた。

 

辞めてから何年も経ったある日の夜、私は山手線に乗っていた。

それなりに混んでもいた。

ちょうどドアを入ってすぐの座席の前に立って、目の前に座る人物をみた。

彼はちょっと汚れた、でもオシャレな着こなしをしている古着好きに見えた。

座席の横の手すりには大きな荷物が置いてあった。

「あ〜、懐かしいな。補修屋だろうか。」と思ってなんとも無しに見ていたら、彼は俯いたまま震えていた。

どうしたんだろう、と思って「大丈夫ですか?」と尋ねると、大丈夫だと言った。

そして上野に着いたら教えてくれ、と続けた。

彼はオッサンだった。

そしておそらくホームレスと呼ばれる人だった。

私はもう次の次で降りる予定だったが、明らかに震えてるその人を置いていくのは気が引けたので了解した。

 

オッサンはずっと俯いていた。

電車もガラガラになっていた。

彼が降りたい、と言った駅のひとつ前で「おじさん、次だよ」と声をかけるとオッサンは立ってドアの前の手すりに寄りかかった。

私は反対側のドアに寄りかかった。

するとオッサンの足元から水が広がり始めた。

え?と思ったらオッサンは「オシッコしちゃった。仕方ないよね」と言った。

私はびっくりしたけれど確かに仕方ないし、自分から「仕方ないよね」というオッサンに清々しさを感じて「仕方ないね」と言って電車を降りた。

ここからはあまり覚えていないし、記憶を都合よく書き換えているのかもしれないけれど、たぶん、私はオッサンに「オジサン大丈夫?これ!」と言って1,000円札を渡そうとした。

おじさんは「いいよ。大丈夫。」と言って階段を降りていなくなった。

 

あの時から「仕方ないよね」と自分が使う時は、いつもオッサンを思い出す。

顔も会話も曖昧にしか覚えてないけど、靴から広がっていく水の映像は覚えている。

 

おじさん、たしかに仕方なかったよね。

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