人間は考える葦である


パスカル先生が言ったそうだが、大きく頷いている。

 

こんばんみ、ぷとりっす。

 

私は物事のゴールを「幸せである」に設定しがちで、そのせいかよく「幸せとは」について考えているような気がする。

現在幸せである。

それでも幸せについていつも考えている。

例えば目の前にメロンパンがある。

大好きなメロンパンなので幸せな気持ちになる。

だがここ一ヶ月の食事がいつもメロンパンだったなら、今目の前のメロンパンを見てうんざりするだろう。

という事は「幸せ」は物質ではないという事になる。

ひいては幸せは「あちら側」には存在しない、ということにならないだろうか。

 

「幸せ」はそれを幸せだと感じることができるかどうか。

それは個人の心の持ちようなのだ。

幸せは「そこ」にあるんじゃなくて、「ここ」にしかないんじゃないだろうか。

だとしたらこの世は幻想だ、という意味がわかるような気がする。

 

人間は考える葦である

 

人間はか弱い葦と同じである。

しかし考えることができる。

考える力は最高のギフトだ。

 

サンタさん、今年のプレゼントにドラえもんをください。

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