今日の徒然に書くのは「あの奇跡」と前から決めていた。
あれはもう20年近く前のこと。
私はとある街のとあるカフェのスタッフとして働き、そして辞めた。
アルバイトを辞めてどれくらい経った頃だろうか。
夕方の、通勤ラッシュに私は乗っていた。
と思う。
蓋が開いて閉まる携帯電話が鳴った。
知らない番号だったし、電車がちょうど最寄駅に着く直前だったので不信感と共に小さな声で「もしもし」と言ったんだと思う。
電話の向こうの人は知らないヒトだった。
辞めたカフェには、そのまま置いてきた3枚の私の絵が飾ってあった。
当時の店長から提案され、自分の作品をプリントしたものを額装し飾ってもらっていたのだ。
原画ではないので、アルバイトを辞める時にはその事をすっかり忘れていたほどだ。
電話の向こうで名乗ったその人は、自分がよくそのカフェを利用していること、近々そこが閉店すること、カフェに飾ってあった私の絵がどうなるのか気になり店長に尋ねると「すでに去ったアルバイトの子が描いたものなので差し上げます」と言われたこと、しかしそれではご本人に申し訳ない、お金をお支払いするので譲ってほしいという事をご本人に尋ねたい、と申し出て、私に電話をかけたという旨を淡々と話してくれた。
私はその瞬間状況を把握できず、不信感のこもった口調で「それに関しては差し上げます」と返し、電話を切った。
電話を切って落ち着いて考えたら、あのヒトはなんて誠実だったんだろう、それなのに私のあの横柄な態度は最低だった、とかなり後悔したことを覚えている。
何をどうしたのか、もう昔のことすぎて覚えていないのだけど、そのあと何度かメールのやり取りをした記憶もある。
しかし友達ではないので何度かやり取りをした後に連絡は途絶えてしまった。
そして20年近く時は過ぎた。
私はPOTOLI TO PUTOLIというユニットを組んで、自分の人生の軸を徐々に作品作りにシフトしていこうと決めた。
手始めに個展をすることにした。
ギャラリーのオーナーが、POTOLI TO PUTOLIのインスタ・アカウントを作って絵をアップしていったほうがいいね、と言ったのでアカウントを作った。
しかし志だけで、新しく描いた絵はまだ全くなかった。
そこで過去に描いた作品をアップする事にした。
もともと自分の作品にタイトルはつけなかったが、体裁をとって後付けでタイトリングをした。
するとそのうちの1点に
「〇〇というタイトルだったんですね。前に喫茶店でお見かけしたものです」
とコメントが届いた。
鳥肌が立った。
15年以上前に、有名でもなんでもないカフェに飾られていた名もなき人間の絵を、まさか覚えていてくれる人がいた事に。
そして、なぜたまたま私の絵を覚えていてくれた人がPOTOLI TO PUTOLIのインスタグラムに辿り着いたのかもわからなかった。
なぜなら、POTOLI TO PUTOLIは5年前でさえその名前が存在していなかったから。
とにかく不思議だったので、その人にいろいろ聞いてみたかったけれど、あちらは特に多くを語らなかったし、私もズカズカと遠慮なく踏み入るのはナンセンスな気もした。
なのでこの奇跡に感謝だけすることにした。
そしてこの出来事は私の自信に繋がった。
上手いとは言えない私の絵が、長い間、人を惹きつけるのだ、と。
きっと大丈夫だ、と。
それから3年ほど経った。
POTOLI TO PUTOLIは2回目の個展をする。
壊れかけのレディオみたいに気分屋だよな。
その人と、インスタグラムで繋がってはいたが、特別なやりとりは全くなかった。
だから個展の際も特に連絡することはしなかった。
最終日の夜だった。
ご夫婦らしきおふたりがいらした。
個展会場は2階で、1階がレストランになっている。
直接2階へ上がる事もできたし、1階で食事をしたお客さんがふらっと立ち寄る事もあった。
最初、私はその2人を見て、食事のついでにふらっと立ち寄ったんだろうと思った。
とても雰囲気のいい2人だった。
特に話すわけではなかったが、なんとなく。
ちょうど最終日の閉店間際で、少し混み合っていた気もする。
その時、女性が不意に
「ずっと描き続けてらっしゃるんですね」
と、言った。気がする。
私の脳みそは違和感を覚え、高速でコンピューターが回転したのを覚えている
何かを探しにいくような感覚だった。
そして一瞬でつかんだ。
「もしかして〇〇 〇〇さんですか?」
自分でも咄嗟にフルネームが出てきたのには驚いたが、脳裏の奥に確実にへばりついて取れるはずのない記憶だったのだろう。
あの時、電車の中にいた私に電話をし、誠実な言葉をくれた人に違いない。
そしてその方は
「はい、そうです」
と言った。
あの日電話を切ってからずっと、「ごめんなさい」と同じくらい「会ってみたい」と願っていた人にとうとう会えたのだ。
彼女がインスタグラムで私の絵を見つけたのは偶然だったそう。
「今でもあの時の絵を寝室の草間彌生氏の隣に飾ってある。なんというか、闇のなかのユーモアに惹かれる気がする。あ、彌生氏もそうですね。」
と言った。
そして私はまさにそのつもりで描いている。
奇遇というのだろうか、私が持っている強迫性障害という疾患を彌生氏も持っている。
そして私がカフェでアルバイトをするもっと前に、また別のアルバイト先で、なぜだろう、
「ぷとりさんは草間彌生さんの絵なんかいいんじゃないかな」
と言われたことがあった。
当時私はそのビッグネームをまだ知らなかった。
言われても全くピンと来なかったけれど、今は是非彌生氏にお会いしたいものだ。
さて、まだまだ私たちの旅は始まったばかりだ。
時々「きっと大丈夫。」を思い出しながらこれからも淡々と、決めたことを続けていこう。
私たちを気にかけてくれているみなはん、どうぞ変わらずに応援よろしくっすぅ。
チーン。