目覚ましをかけ、朝起きる。
その時点で時間に追われている証拠というわけだ。
迫ってくる未来という時間から逃れて、なんとか1番近い未来に追いつく。
追いついた途端にまた未来がこちらに向かって迫ってくる。
未来から逃れながら未来を追いかける。
その繰り返しだ。
逃げなければいけない時、人は自由に思考できるだろうか。
逃げることに必死でそんな余裕なんてないはずだ。
でもそうする事でなんとか「生かされる」事が保証されるので、私はそこにしがみつく。
このサイクルをバッサリと断ち切る勇気がないのである。
何度か断ち切ってみたが、月々支払う健康保険と年金だけで気持ちが卑屈になり、結局手近な未来に手を伸ばし、そしてまたこのサイクルに引き戻されることになる。
簡単だ。
明日の生活のために今日という時間を消費する。
「生きる」とはどういう事だろう。
わからない。
私は今「生き長らえている」が「生きている」ような気がしない。
そんな悩みは贅沢だと言われるかもしれないけれど。
それでもちっぽけな私には重要である。
未来に恐怖しながら生かされる世界はそれでも平和なんだろうか。
生きることを選択できない私が弱いのだろうか。
それでも考える事はいいことだと思う。
当たり前は思考を放棄させるから。
疑問を持ったらそこが始まりだ。
思考しなければならないことは山ほどある。
動かさなければいけない手も。
そこから逃げているのもタワシ。
考えるだけじゃ足りない。
考えずにやるだけも足りない。
だけど前より少し行動に移せるようになった。
淡々と続けることもできている、今のところ。
こんなふうに書いているが、今は多分1番いい時期。
振り返った時にあの時頑張って良かったと思える今にしようと心に決めるタワシの夜である。