今夜は、キャットから想像を膨らませてみる。
超絶ムズイ量子力学の世界に、シュレディンガーのキャットという有名な思考実験がある。
思考実験とは実際に行うのではなく、頭の中で実験をするというとってもイマジン豊かな実験である。
本当の解釈は全然わからんが、タワシなりのすっ飛ばし方で言うと、箱の中に、爆発するかもしれないししないかもしれない、確率が五分五分の装置がある。
そこに猫ちゃんを入れるという酷い実験だ。
量子力学的には、その猫ちゃんが死ぬのか生き残るのか、死んでいるのか生きているのか、その箱の中が何者かによって観測されるまで決まってないし、なんなら観測されるまではどっちの猫ちゃんも存在しているというのだ。
なんかイミフな感じではあるが、タワシにはなんとなくそうなんじゃないかと思えて仕方ないのである。
その猫ちゃんにしてみれば、爆発するかしないかで自分は死ぬんだろうよ、とわかっていても、何者かが見にくる事で自分の生死が決まるなんて考えられないわけである。
だから一見そんなバカなことあるかい、と言いそうになるのだけれど、ちょっと待ってちょっと待って。
タワシはだからこそあり得るような気がしている。
猫ちゃんを軸に考えてみる。
猫ちゃんが自分だとして。
「自分」とはいつでもタワシの事で唯一無二の存在なわけだ。
ということは、生きている自分と死んでいる自分を両方いっぺんに感じる事は無理である。
それを量子力学的に考えたら、タワシが生死を行き来しているのではなく、生きた自分と死んだ自分が別に存在しているという事になる。
いわゆるパラレルワールドだ。
で、だ。
いやいやそんなことあるわきゃないだろ派にSwitch。
観測された瞬間に結果がでるんじゃないとしたら、いつだ。
観測される前に既に答えは決まっていると言うこともできないだろうか。
若干無理はあるけれど。
さておき。
もしも観測される前に全てが決まっているというなら、観測される意味はなくなり、そもそも事が起こる意味もなくなる気がして、タワシはどうにもおセンチな気持ちになってまう。
例えばだ。
「あら、いやだ。タワシちゃん最近ずいぶん綺麗になったじゃなぁい。恋でもしてるのかしら。」
なんて話はよく聞く。
これはまさに量子力学的なのではなかろうか。
観測される側ではなく、観測してる側にいるんだけれども。
何らかの「観測」が関わる事によって人は決定するような。
いやいやもうこれ以上の話はないし、タワシの話がそもそもイミフだとお叱りを受けそうだけれど、なんだかこういう事を考えていると楽しいのである。
そしてそれが人の頭を刺激して思考が広がるとするならば、今度は嬉しいのである。
さて、今夜はポッドキャストの録音だ。
みんなとこの話で盛り上がろうと思っている。
とっちらかることこの上ない。
さぁ楽しもう。
そう、今宵はイッツ ア スモールワールド。
トゥインクルちゃんおやすみよ。