人が行動する時、その人の心の動きはどう切り替わるんだろうか。
私たちの未来の店「アートと本と対話の店【ロイロ】」に来てくれる未来のお客さんは、どんな時にどんな気持ちでうちに寄ってくれるんだろう。
例えば会社帰り。
帰宅前にちょっと寄ろうかな、と思う【ロイロ】にはどんな魅力がある?
例えば週末の午前中。
する事も特にないし、気晴らしに【ロイロ】にでも行くか、と思う。
その「気晴らし」に、うちはどう応えられる?
例えば「対話的イベント」をする時、お客さんの感情のどこかに何かを残したい。
「おもしろい。また来よう」と思う何かを持って帰ってもらう。
それはどんなもの?
そういう部分をもっと明確に意識していく。
なんとなく、ではいつか「大切」が何だったかを忘れてしまう。
そして毎年意識の振り返りと確認をしようと思う。
ずっと好きな仕事で生きていくために。
誰かを救いたいとか、寄り添いたいとか、そんな大それた事は考えていないしこれからも考えることはない。
自分たちの「好き」の先で、たまたま誰かがホッとできたら光栄である。
誰かのせいにしないために私たちは私たちのために働き、そして続ける。
今日は近所のオシャンティカフェへ行き、意識して内装や家具、建具を見たり、散歩がてらに物件探しの真似事をしてみたので考えが渋滞気味である。
楽しいことには楽しいなりの軽さがある、と私は思う。
楽しいのひとつ下の、苦しいわけではないが楽しくはない事をひとつずつクリアしていく忍耐力が私たちにはもっと必要なわけで、そこから逃げずにやり抜いた先の「楽しい」を楽しみに、また明日からも出来る事を淡々と続けていく。
いつになく真面目か。
なわけであるが、タワシは実際結構真面目である。
グッバイしあわせな休日様。
らっしゃい5日間。
また明日から天井を見つめる日々。
嫌いではない日々。
それが今のしあわせである。