昨日に引き続き本日も12月のお坊さん並みに忙しい。
時はまだギリギリ弥生だっちゅうに。
タワシの場合、1日のフリーダムな時間の中でブログに割く割合が、只今ダントツ1位なので、この時間を確保できない=忙しい、と偉そうに言い放っているだけであり、本物の忙しい人たちと比べたらもうそれは鼻くそみたいなものである。
しかし。
熱しやすく冷めやすいタワシにとってこの、毎日ブログを書くという行為はなかなかの清水寺案件で、本当に続くんだろうかと思いつつ、だけどもそれ以外に皆はんにホームページへ遊びに来てもらう手段が思いつかなかったのだ。
冷静に考えればブログを毎日書いたからといって、ブログを書いてますよー、というメッセージ自体が大勢に届かなければやはり来てはもらえないわけで、なんとも全くの素人考えだな、と思う。
でも今タワシはこの捻り出す文章の日々の苦しみの奥で、明らかに喜びを感じているのであった。
書くより描け バカモノよ
と、茨木のり子大先生にゲンコツをくらうかもしれないが、上手い下手はぶん投げてまず、そう思ってしまうタワシには「書く才能」があるんだと思うのだ
「才能」は決して人に認められた能力ではなく、自分が、思わず、とかついつい、とか気づいたら、とか何してるんだ?と度々思いながらもやっちまう、みたいに、「そりゃあ苦しい時もあるけれどなぜか継続可能で、なんなら率先して継続したいのである」なものなんじゃなかろうか。
それを才能と呼んで、まずは自分で認めたるのは決して偉そうなんかじゃなく、自分が自分にやったるべきことなんじゃなかろうか。
そこが始まりとなって、誰かが同じくそれを才能だと言ってくれても言われなくても自分の才能には一切の傷もつかんし、関係もねぇのである。
ただ、才能の認知が広がるか留まるかだけの話だ。
そしてなぜ自分で自分を認めたるほうがいいのかってぇと、今度は才能云々は関係なくて「自分は”何か”をし続ける事ができる」ことを自分自身がわかってしまうと、否応なく「次」がやってくるからだ。
なぜなら今タワシは「書き続ける事ができる」とわかってしまったので、「描き続けることもできるはず」と思い始めているのだから。
これは自分の可能性の増殖であり、魔法だ。
魔法使いだってなかなか自分に魔法はかけない世知辛いこの世の中で自分に魔法をかける。
最高だな。
どうぞ皆はんの才能も増殖してくださいな。
才能帝国のはじまりはじまり。
そう思う師走タワスフライデーナイスなうの夜のはじまりはじまり。
ポッドキャスト【深飛行-初番外編-】、アップしまひた。