春眠暁を覚えず

朝起きて昼を待たずにグースカグースカ鼻ちょうちん。

夜になると目はギンギン、テンションもアゲアゲになるもんだからこの時間は眠くて仕方がない。

昼間は騒めきが大きすぎて集中できゃあしない。

陽が落ちて、騒めきもばらけ、それぞれ家路に着きすっからかんになって夜の外がはじまる。

耳に「しーん」という音がへばりついてやっと心が落ち着くのだ。

しーんという耳鳴りの中で脳が覚醒していくのがわかる。

そして、さてつくるか、となるはずなんだけれども、昼間に寝ていないと睡魔もやってきてバタンQとなる。

そんな日々が続いていた。

今夜こそは芸術家のように腕をぶるんぶるん奮いたい。

明日の仕事のことなど関係ない。

だってアタイ、芸術家だもん。

なんてな。

そんなふうに生きれたら今頃はきっと本物のゲイジュツカになっていただろうよ。

しかしタワシには無理だ。

本能が浮ついているから。

デンとして動かない本能なら迂回せず、ひたすら真っ直ぐに向かう未来は思いのほか近かったかもしれない。

タワシはどうだ。

右折しちゃあ居眠り、左折しても居眠り、時々ロータリーをぐるぐる何周も回ったまま一向に道に出ないなんてこともある。

それでも振り返れば遠くへきたもんだと思う。

もう後戻りするには時間がかかりすぎる。

だったら先へ進むしかない。

今更ストイックにはなれないがそれでいい。

ストイックと引き換えに手に入れたものはなんだろう。

それはたぶん出会いだ。

出会いとは時間の共有だ。

そして共有という枠の中だけで「時間」は伸びたり縮んだりする、とタワシは思う。

「は?」

わかるわかる。

「時間」が伸びたり縮んだりなんかするなら時計なんぞいらんじゃないか。

たしかに。

ん〜、なんちゅうか。

うまく説明できるかわからんがレッツラ・トライである。

ひとりという世界で刻む時間にかけ算は存在しない。

全ては×1で、は増えも減りもしない。

しかし2人以上の世界で刻む時間はどうだろう。

×2や×0.2となり、以上にも以下にも成りえる。

タワシにはそれがそのまま時間の伸び縮みに比例しているように思えてならないのである

その視点で考えるとすれば、出会いの数だけ時間が伸びたり縮んだりしてきたわけで、それが得なのか損なのかはわからんが、タワシにとってそれは大事なものだった。

だからこれでいい。

これからもこれでいい。

こんだけ訳のわからんごたくを並べてバタンQじゃ話にならないな。

今夜タワシは芸術家になれるかなれないか、タワシにも全くわからん。

挨拶だけはちゃんとしなさいよ、とマザーに言われているのでこれだけは言わせていただきたい。

おやすみなさい。

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