うさぎは跳ぶ

世間もうちも新年度という言葉が飛び交っているが、1年の始まりは1月1日だと思っているタワシには気持ち悪い区切り方である。

日本でミネラルウォーターを買えばそれは水であるのに対し、アブロードでミネラルウォーターを頼むとシュワシュワの水が出てくる。

そんな気持ち悪さだ。

初めてサグラダファミリアを知った時にサクラのほうが良くね?と思った時のような違和感とも言う。

そんなことをぶつくさ言ったところで、もう今年の1/4はグッバイさよならまた来年、だ。

今更大豆を買ってきて福は内、鬼は外!と叫んだところで鬼はお山に帰ったあとだし、福は誰かの家で今頃上げ膳据え膳だろう。

ぼんぼりに灯りをつけたってお内裏さまとお雛様はすでに納屋の中で静かに眠っている。

タイミングは思いのほか重要だ。

しかし我慢を覚えた人間は、このタイミングってやつがいつなのかわからんのである。

我慢は美徳と言われた時代はもうはるか彼方。

いや、ちょっと待て、タワシよ。

我慢なのか? 忍耐なのか?

ググってみる。

ははぁん。

我慢は拳を握り、自分の感情を無理やり抑え込んでいる状態で、そこにあるのは怒りだ。

それに引き換え、忍耐には希望がある。

希望への途中で通過しなければならない苦行のようなもので、辛いが必要だと納得している。

これか。

今自分がしているのは我慢か忍耐か。

ムズイ。

超ムズイ。

しかしこれはかなり重要である。

見極めたい。

なうで見極めたい。

できるか?

できるわきゃないが、やるっきゃない。

だって毎日なにがしかのタイミングがやってきている気がしてならないのだから。

だったらタワシはもっと時を見つめようと思う。

流れを見つめてみようと思う。時を切り取ってそこだけを見て一喜一憂する日々には少々疲れてきたのである。

テヘヘ。

イメージは大縄跳びだ。

八の字を見て前後を見て自分を見るんじゃなく縄を見て跳びこむ。

そして跳びだす。

これだ。

相変わらず訳のわからん妄想珍道中であるが、これはきっと言い得て妙なはず。

タイミングをはかりたければ大縄跳びを描け!

これだ。

間違いない。

いや、間違いたくない。

チーン。

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