ババンババンバンバン

昨夜のオバQポンチョの絵は、ぽ氏に大目玉を食らったわけだが、ブログ用のメモを開けたらいきなりオバQポンチョが出てきて、さすがにこれは天才イラストレーターと豪語するタワシ的にボツにするべき代物だったと反省している。

なぜってこの一件で説得力がゼロになるからに決まってる。

このブログは活字でみなはんに届くのでアレだが、タワシは習字を習っていないくせに字が上手いというのが自称自慢の小学生であった。

上手いというかなんちゅうか、友達の家で一緒に宿題をしていたら、そこのお家の母上が部屋に入って来て「あら、誰?この字を書いたのは。」「ぷとりちゃんなの?ずいぶん男らしい字を書くのね。おばさん驚いてる。へぇ〜、見直しちゃったわ。」と、言われてその言葉をどう咀嚼すればいいのか未だに分からず、あの時からずっと宙ぶらりんの感情があるのだけれど、そう、タワシの字は筆圧が酷い。

鉛筆も折れる強さである。

だからおそらく習字が上手い風になるのである。

それだけなのだ。

 

この「風」と書いて「ふう」と読む時、本当の風は爽やかで清々しいけれど、ふうになった途端にきな臭くなるじゃんか。

「ふう」と、うたった時点で、私は偽物です、と言っているのと同じなんだから。

しかしまぁ、世間には「ふう」が溢れかえっているよな。

関西風、お好み焼き風、洋風、和風…あれ、あんまりないじゃんか。

でもあれだ、ファッションなんてまさに「ふう」である。

生まれたままのビジュアルに、自分の理想を着重ねて街中を闊歩して歩くのだから。

オシャンティーに仕上がった日は心なしか胸を張るし、自分の内面を既製品の外見に寄せていく。

そう、外見は既製品の寄せ集めである。

しかしこれらの既製品をどう組み合わせるのか、で、じゅうぶんに個性が光ってくるのである。

そしてその個性が魅力に変わる。

新しいものなんて今更そうそうないが、それをどう組み合わせるかで、「新しい風(ふう)」になる。

いつの時代もマッチング上手が旋風を巻き起こしているではないか。

おまけに風の時代も始まっとる。

藤井風も大人気だ。

春は風だし、今は春。

なんかよくわからなくなってきたが、今がまさに最高の時なんじゃないかという気分になってきた。

風を読め。

風をつかまえろ。

風に乗れ。

風と共に去りぬ。

風邪引くなよ。

また来週。

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