謂れのない眠さだ。
なんてこった。
眠すぎて朦朧が止まらなくて全てがスローモーションで動いてる。
本当は10個入りの「かし原の栗羊かん」を1日2個ずつ、1週間で食べ切るつもりだったのに、気づけば火曜昼、残りがあと2個になっているではないか。
一体いつ誰が食らっちまったんだ?
ここで「かし原?知らないわ。羊羹はやっぱりとらじろうよね。」と言う方々。
正直羨ましいぜ。
しかしもし、ばぁちゃんに「ほれ、これで羊羹を好きなだけ買ってこい」と言われたら、タワシはとらやの小型羊羹には見向きもしないでスーパーマーケットでかし原の塩ようかんか、かし原の栗羊ようかんをたらふく買って、たらふくかっ食らうことだろう。
かっ食らうのは大好きだ。
高いもんは予々みっちり詰まって密度が濃い。
よってすぐに満足してしまうのでかっ食らうことができない。
コドモの頃にみたマンガの中の少年たちがご飯をかっ食らっていたように、ご飯粒をつけたり飛ばしたりしながら美味そうにかっ食らう姿はロマンなのだ。
質より量だ。
言っておくけれども、かし原のようかんはうまいですぞ。
ただ、記憶しているその幸せの動作を繰り返したい。
何度も幸せを味わう幸せを、何度も味わいたい。
そう思った時にわざわざイヤリングをつけて紅を引き、ハイヒールを履いて電車に乗ってデパートでとらじろうを購入している時間はないのだ。
顔を洗って、つっかけを履き自転車に乗ってスーパーでかし原を買う時間はあるが。
自転車に乗って夕焼けを見てごらんよ。
素敵なんだから。
タワシは自分が何を欲しているのかを知っている。
とても幸運な事に。
とらやかかし原ならかし原だ。
ブルボン様のルーベラより断然ヨックモックのシガールだし、チャックは絶対にYKK。
頑丈だから。
絶対に上着を脱がないと知っている日はレオタードみたいにピチピチのTシャツを着る。
他の服を休ませてあげたいから。
高級な羊羹が必ずしも良いとは限らないし、少々値が張ってもバターを味わいたいならシガールだし、開閉の摩擦で指が熱くなるほど薄いチャックが付いている洋服は着ない。
上着を脱がないなら暖を取れればピチピチだろうが、変な絵が付いていようがレオタードを着る。
それがこだわりと言うものだ。
これでいいのだ。
相変わらず時はスローモーション。
軽いめまいを誘うほどに。
なので今日もおやすみなさいな、また明日。