フライデーには終了している経営塾だが、頭の中がまだ思考を止めてくれない。
99も100もやめて101個考えた店の名前だが案の定「全部ダメ」の洗礼を受けた。
しかしMr.Stoneの「ダメ」にはまるで否定が含まれないのが不思議である。
なんつうか、まだ君の中には正解が隠れてるだろうよ、もっと探せ、的なカンフル剤としてのダメ錠なのだ。
薬好きのタワシにこのMr.Stoneのダメ錠はどえらい効果があり、アドレナリンまでやってきた。
壊れた蛇口よろしくアドレナリンが出っ放しで困っている。
名案が思いつくと黙ってられず、迷惑も省みず「これ、よくないっすかメール」をしても嫌な顔ひとつせず、時間も空けずに真摯に答えてくれるミストン先生が好きだ。
そりゃあタワシのギアがグングン上がっていくはずである。
それにしても自分ではもうこれ以上の案は出ないだろう名案をあっさり切り捨てられると、石コロを蹴散らしたくなりそうなもんだが、切り捨てられたら切り捨てられたで「さっきの最高」を上回る名案が思いつくから不思議である。
まぁ、うまく引き出してくれるからだろうが、人間に限界はなく、限界を作り上げているのは他でもない自分自身なのだと納得せざるを得ない。
こうなってくると人間てものは本来全てを持っていたのかもしれない、忘れてしまったけれど。
最初の最初は完全であったのかもしれない。
蛇がすすめた木の実を食べるまでは。
あの日食べた善悪を知る知恵の木の実がわたしたちにもたらした副作用は、とてつもなくデカかったのかもしれない。
そして聖書に、わたしたちが再び楽園に戻る術はおそらく書かれていないのである。。
なんにせよ、自分に限界などないと信じきれた時、人間の才能は計り知れないに決まってる。
と信じている。
だからわくわくするぜ。
オカルトというと怪しいだの危ない奴だのと敬遠されがちだ。
念の為言っておくが、タワシは生粋のムー民だ。
目に見えないものを信じる人間をバカにするのは自由だが、人の才能が見える人はいるのかい?
好きな気持ちや嫌いな気持ちが容易く見えたら人はこんなに苦労しないだろう
そういう厄介な気持ちたちが見えるというのかい?
こうやって答えがあるのかないのか分からん話をしながら、発見したり納得したり、違和感を覚えてその原因を探ってみたり、そういう「対話」の場を作りたい。
はやく夢が叶うといいな。
よーし、また明日からできる事をコツコツやるぞい。
ふぅ。
昨日の失敗を今日の教訓にチェンジして本日のブログは夕焼け色である。
明日はまだまだ先にいる。
ちびまる子ちゃんもサザエさんも笑点も始まってない。
それではみなはん、またまた明日、この場所で。