朝から分刻みの計算をする。
家を出るまで18分あるがまだ寝巻きだ。
夜のスープ、作れるか?
ムムムムム。
38秒佇んでしまった。
いやもう無理だ。
だってチキンがコッチコチに固まってる。
大根はほっぽらかし過ぎてたくあんみたいにしわくちゃである。
ピーラーじゃ剥けない。
ギリギリまで火を使うとガスを止めたかどうか不安でうちに帰りたくなる。
てことはもう無理だ。
諦めてソファーでふて転がりする。
不思議なことに料理では足りない時間が、ソファーで人魚のようにたゆたうとかなりの余裕が生まれる。
残された時間は同じなのに。
しかも急いで時間を稼いでいるわけじゃないのに。
ゆっくり過ごす気持ちが時間の概念を変形させちまったということか?
そうなのか?
何かを諦めるということは何かを失うことじゃなかったのか?
諦めたのに
得ることもあるんだと
知った人魚の
タワシちゃん
相当字余り
だとしたら時間は、ちぎってしまったマスキングテープと同じだ。
何が?
わからん。
ちぎり損ねた部分は足りないしどうにもならんが、ちょっとくらい短くて足りなくても見方によったらかわいい。
タワシ人魚のように。
とかそういうことだ、きっと。
いや、全然間違ってるだろうよ。
ま、でも遠からず近からずあしからず。
時間配分は重要という話。
でも本当は大したことないって話。
重要なのは腹ペコで帰って「朝作っときゃ良かった」っつって激おこプンプン丸で冷蔵庫を開けて、しなびた大根を見てぷぷぷって笑えるかどうか。
カチンコチンのチキンを見て面倒だから今日は肉無し!と清々しく諦められるかどうか。
牛乳ポッケにきゅうりを見つけて玉ねぎとキュウリとツナ缶で10分でサラスパ作っちゃって、オレ天才!て先ほどまでの怒りを全て無かったことにできるかどうか。
それだけだ。
それが天才と秀才の分かれ道なのである。
この世には天才と秀才しかいない。
そしてタワシもあなたも天才なのだ。
諦めて認める時がやってきた。
さぁ、みなはん。
今夜は事あるごとに「オレ天才」つってみて。
マジキモちぃから。
誰かに聞かれたらマジキモちわりぃけど。
でも天才はそういうキモちわりぃとこあんだから。
今夜の徒然、やばくね?
オレマジ天才。
つうことで、みなはん明日もこの場所で。