風が肌寒くて気持ちいい

月曜という名の木曜日が始まった。

それはまるでビュッフェで、シズラーで、スタートした途端お皿にスイーツを乗せちゃったみたいなマジカルな時間の始まりである。

ホリデーからの逆算は曜日を曖昧にする。

もはや今日という言葉の意味さえタワシには曖昧だ。

なぜならワタシたちは昨日だって昨日のことを今日と言ったし、明日になれば明日を今日と呼ぶのだから。

昨日も明日も同じように使いまわしの使い古しなのだ。

「今」という一瞬は二度と訪れないのに「今」を24時間分セットにした途端に特売シールみたいにラベリング可能になるのだ。

こんなぐちゃぐちゃな世の中を平然とひょうひょうと生きてるワタシたちは天才なんだろう。

こうなると、物事は存在しているのではなく認識しているに過ぎないという考えに大きく頷きたくなってくるのだが、仏教の教えをビュッフェのお皿に乗せるのは少々由々しきことではなかろうかと考えたりもする。

まぁとにかく、今日と明日は1時間ごとにマネーが懐に落ちる音が聞こえるという話である。

土曜日のアメリカンフードはまだマイポンポコリンに滞在しており、朝からズボンはタワシの腹を見て怪訝な顔をしていた。

よいしょっ、と。

ゴールデンウィーク目前のせいか今日はそれなりに忙しい。

それでも自分の気分が苛立たないのは周りのヒトの物や事の捉え方に余裕があるからなんだろう。

ありがたい。

余裕はもとより、余白や余波という言葉にはなんとなく、ゆっくりと委ねる感覚を覚える。

しかし余計とか余分と言われたとたんにゴミ扱いされた気になり腹が立つ。

言葉には要注意である。

簡単に人の心を操ってしまうのだから。

しかしタワシは言葉をこよなく愛している。

こだわりが強いだけかもしれないが、だから人の言葉も強烈に心に刺さり、自分の言葉が思いもよらぬほうへと向かったんじゃないか、といつまでもグジグジしている。

そのうち口を開くのも億劫になって、誰かが話し終わるまで待てなくなって、どこかの誰かがテレパシーを開発するんだろう。

そして人は口を使わなくなりグレイタイプの宇宙人みたいに小さな顎と口になっていくんだろう。

寂しいな。

時代には到底逆らえない。

だからタワシは急いで楽しまなくてはならないのだ。

後の祭りにならぬよう。

こうやって徒然が成り立つ限り。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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