タワシの車窓から

ぬぉーっっ!

なんか相当にべらぼうに楽しくなる予感の祭り騒ぎを思いついてしまい、仕事が手につかず、反省したいのだけど反省する暇もないくらいにアドレナリンが湧き出して困った。

これは正露丸とかで抑えられるものなのだろうか。

早退してしまいたいくらいである。

いや、タワシ、落ち着け。

明日からのマザー・ト・トラベリングの準備もしてないちゅうだに。

朝、昼、夕方にひとつずつ用意していた、ぽ氏がオートミールを買ったはいいがやはり普通には食べられないからクッキーにしてまえ、と思いつき作って分けてくれた、思いのほか病みつきになるクッキーも昼で食べ切ってしまった。

これで夕方には腹が減りすぎて震えるのだ。

旅行にあまり興味がなく、たいして旅を知らないタワシは荷物が大嫌いだ。

2泊3日の旅ならばオパンツだって表、裏、表で履けたらなぁ、とオパンツ1枚分の重さすら重荷なんだから。

そんなタワシの旅路の日程には、しっかり蚤の市をインしてある。

観光名所よりも蚤の市に行きたい。

これにはマザーも大賛成で、どんなお宝を発掘できるか今から楽しみである。

つうかこれはマザーの遺伝子である。

スネっかじりのタワシだからペアレンツと出かけるとなるととにかくひとつでも何か買ってもらわなきゃ気が済まない。

48にもなって。

プププ。

これはお恥ずかしい話ではあるが、真実なので仕方ない。

言い方を変えればコドモに戻るというわけだ。

しかし蚤の市となるとお互い血眼になって宝探しとなるので自腹を切る。

マザーには財布に優しい旅でもある。

さて。

自分へのおみやも人へのおみやも「ちなまなくてよくね?」というのが持論である。

蚤の市で買うものはその土地にちなんでいない。

しかしタワシがそれを眺めた時にその土地の思い出が蘇ればそれはもう立派なおみやである。

一方で会社などへのおみやに至っては、もはや会社近くのコンビニエンスストアで大量に買うスナック菓子でも○だと思っている。

だってタワシの思い出が、おはようとお疲れしか交わす言葉のない人々になんの関係があるというのか。

口に入れば忘れる味なら、ちなむ必要などないと思うのだ。

もちろんそうではない類の大切な人々にはコンビニエンスストアでは意味がない。

おみやひとつとっても多様である。

世界は当然デフォルトで多様という事だ。

そう。

多様は特別ではなく当然なのだ。

話は車窓からの風景のごとくどんどんと移り変わるが、帰宅して「ABOUT GIRLS 」のYouTubeを観ていたらアリスちゃんが

「ひとりでいる時はそれを楽しんでいるのに、人と比較した途端に孤独って感じるよね」

というような事を言っていて首がもげるほど頷いた。

なるほど確かに。

ひとりを感じるためには人が必要なわけだ。

考えれば全てが発見につながるもんだ。

そろそろ眠くなってきた。

明日に備えて風呂に入って寝るとしよう。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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