さわやかに

みなはんは「ありがとうの歌」をご存知だろうか。

チータの若かりし頃の名曲である。

タワシが高校生の頃、ちょうどハイスクールから家路に着く午後2時ではよく、レトロな連続ドラマがやっていた。

「ムー」、「ム一一族」を筆頭にこの「ありがとう」もかじりついて観ていたドラマのひとつである。

その主題歌が朝から頭の中をリフレイン。

そして気がついた。

なんていい歌なんだ。

さわやかそのものである。

さわやかになろうと思う。

そうできるような気になる歌だ。

よろしければ是非とも聴いていただきたい。


時代は着々と過ぎているのに、昔は良かったなどと感傷に浸るつもりはない。

あの頃はインターネットもなければ会わずに会えるパソコンだってなかった。

スマホッ首という大きな代償を支払ってはいるが、こんなに手軽に情報を手に入れられるのだから。

ホントか嘘かはわからん微妙な情報の海ではあるが。

暇なんていくらでもつぶせる。

わざわざ友達に電話をして「今日遊ぼうよ」なんて言わなくていいのだから。

断られてションボリすることもないのだから。

そんな時代でも、たいていの人がオカルトと聞くと怪しげな顔をする。

なぜだろか。

オカルト・ロマンティックなタワシからしたら、この時代はもはや堂々とオカルトだと思うのだが。

 

さて。

真実から目を逸らして逸らして半月、いよいよズボンを履いた時、布に触れる太ももの面積がひしめき合ってきた。

なので渋々ダイエットを始めている。

もうすでに地団駄を踏んでくじけている。

会社の手前のコンビニエンスストアでお菓子を買う事を禁じたので、会社で食べるスイーツがない。

午後2時。

甘いを摂取したくてたまらん。

しかし何もない。

もう鞄にはあれくらいしかない。

ならば食べるしかない。

腹が減って龍角散の粉をたっぷり食べるのは初めてだが腹は満足しなかった。

そりゃそうだ。

甘くもないし、これは薬である。

明日からはお腹が空いたら命のマザーAを食べよう。

焼かないホルモンだと思えばいい。

 

とうとうのぞみくんがバングラデシュから帰国したので、はやく深飛行を収録しようぜ、と詰め寄った。

みゆうさんもそろそろ試験が始まる。

タワシ以外みんな忙しい。

しかし今夜ならみんな集まれるという事で集結するだに。

若人がタワシのワガママに付き合ってくれている。

泣けるだに。

若い人との接点がなかったので、みんなをひとまとめにして「若い人は何を考えているのかわからんから怖い」と思っていた自分を反省する。

今は、人との関わりに年齢なんて関係ないとつくづく思う。

結局それはその人が物事をどう捉え、どう対処し、めんどくさい事をどれたけしてきたか、その作法、所作に心地よさを感じるかどうかじゃなかろうか。

年齢で人を区切ることと性別で色を分けることは似ている。

全くもってセンスがない。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

ブログに戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。